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浜本隆司ブログ オーロラ・ドライブ

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本ーこれいいよ vol.14


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THE SHAPE OF CONTENT

「ある絵の伝記」

ベン・シャーン

美術出版社/1960年


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大阪総合デザイン専門学校の「榎本文庫」からお借りしてきました。


若い頃から

読むべき本として、チェックしていたものですが、

榎本先生の蔵書だったので、これを縁に読んでみました。



榎本先生は水彩画家として学校の大先輩の先生せいたが、

去年亡くなられました。

ご家族の方が先生の蔵書を学校に寄贈されたものが

「榎本文庫」で、教員控え室にあります。



興味深い本がいつくもあってその筆頭がこのベン・シャーンの本でした。






この本はどうゆう本かというと


画家.芸術家のベン・シャーンの自身の芸術観を書いたものです。


私はベン・シャーンを画家、イラストレーターという捉え方をしています。

それもかなり信頼度の高い画家として。




読んでみて、、

それこそ、今、私が美術対して持っていた考えを、

認めてくれるような内容で、大いに励まされました。


ともすれば表層的、実験的すぎる現代アートの無内容を指摘し、

価値あるものは、

現実の生活、あるいは生きている現場からが生まれで表現である

という概論。



そして、「何を」「どのような形式で」表現するか。


芸術で生計が立てられるのか、、


といった

表現の根源的命題を

具体的で分かりやすく論じてくれています。




表現者以外の人には全く、お薦めできませんが、

画家を目指す人には

是非読むべき本だと、いうことができます。










ちょっと主知主義的なところがあって、

芸術のエリートたれと言ってるように感じるところは

1950~60年代の認識の限界かもしれません。



ですが、

理想は高い方がいいので、

高みを目指したい人には是非是非です。











by hamaremix | 2018-11-21 23:17 | 本ーこれいいよ | Comments(0)
とっても美しい言葉。


「一行の詩のためには、あまたの都市や、
人間や、事物をみなければならぬ。
あまたの動物を知らねばならぬし、
空飛ぶ鳥がいかに飛ぶか、
朝小さな花がどんな身振りで開くかを感じなければならぬ。

未知の国の道々や、期待していなかった出会いや、
ずっと前からそれがくるのがわかっていた別離を
詩人は思いかえすことができなければならない。

ーーーまだその意味がつかめづにいる少年時代の日々、
喜ばそうとして何かをくれたのに、それを手にしなかったために、そのこころを痛めさせた
両親のこと(他の子供だったら、きっと喜びを感じたことだったろう。)

多くの深い重大な病状の変化をみせる少年期の病気。
一室に静かに引き籠っていた日々。
海辺の朝。海そのもの。いろいろな海。
空の星とともに飛び去った高地の旅の夜。

これらのことを詩人は思いださなければならない。
いや、ただすべてを思いだすだけでは不十分である。

一夜一夜が前の夜と異なる愛の夜の記憶。
産婦の叫びの記憶。白衣のなかにぐったりと眠る産後の女の記憶。

詩人はまた死にゆく人の傍にいたことがなければならないし、
開いた窓がかたことと鳴る部屋での通夜もしたことがなければならない。

しかもこうゆう記憶をもっていることで充分ではない。
追憶が多かったら、これを忘れることができなければならない。
そしてそうゆう追憶が再び帰ってくるまで待つ大きな忍耐力をもたねばならない。
追憶はいまだほんとうの追憶になっていないからだ。

追憶がわれわれの身体のなかの血となり、眼差しとなり、表情となり、
名前のないわれら自身と区別のつかないものとなるまでは、、、

そして、その時に、
いとも稀なる時刻に、ひとつの詩の最初の言葉が、
それら追憶のまんなかに浮き上がり、
追憶そのものから進み出て来るのだ。」


『マルテの手記』リルケ



「ある絵の伝記」のベン・シャーンの引用から




by hamaremix | 2018-11-19 22:29 | 哲学 | Comments(0)
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美術館で壁面に提示された文章を読むのは
なかなか難しい。

絵をみる気持ちでいる時に
立った姿勢で長い文章を読み、
しかもそれを深く理解し味わうとなると、
かなりの集中力が必要とされ、
私に場合相当に苦労します。


しかし、
昨日観に行った「ベン・シャーン」展で(伊丹市立美術館)、

最後の部屋にあった、ベン・シャーンが詩人リルケ
言葉にインスパイアされて制作された最後の版画集
「一行の詩のためには」(マルテの手記より)
の展示室にあった、
リルケの言葉に
私は、これまでになくその言葉の世界に入り込めました。


とても美しい日本語訳だったとも思いますが、
メモもカタログもなかったので
きちんとした文をここで紹介できないのですが、
ネットから、ひっぱてきたものを
繋ぎ合わせてみると
多分、以下のようだったと思います。



「一行の詩のためには」

一行詩のためには

あまたの都市、

あまたの人々、

あまたの書物を見なければならぬ。

またあまたの禽獣を知らねばならぬ。

空飛ぶ鳥の翼を感じなければならぬし、

朝開く小さな草花のうなだれたはじらいを知らねばならぬ


そして経験だけではなく、それを保持しなければならない

忘れた状態で。
 

幼い日の病気、そして静かな寂とした部屋の日々、

海辺の朝、そして、海、あの海この海、

また、天空高く馳せすぎ星とともに流れ去った旅の夜々を思い出さなくてはならない。
 

夜ごとに相のちがう愛欲の夜、

陣痛の女の叫び、

肉体がふたたび閉じ合わさるのを待ちながら深い眠りをつづけている
ほっそりとした白衣の産婦、

これらについても思い出をもたなければならない。

また、臨終の者の枕辺にも坐したことがなくてはならない。

窓を開け放ち、つき出すような嗚咽の聞こえる部屋で、

死者のそばに坐した経験がなくてはならない。
 

---しかも、こうした追憶を持つだけなら一向何の足しにもならぬのだ。

追憶が多くなれば次にはそれを忘却することができねばならぬだろう。

そして再び思い出が帰るのを待つ大きな忍耐が要るのだ。

想い出だけなら何の足しにもなりはしない。

追憶が僕らの血となり、眼となり、表情となり、

名前も分からぬものとなり、

もはや僕ら自身と区別することができなくなって、

初めてふとした偶然に一編の詩の最初の言葉は、

それらの思い出の真ん中に想い出のかげからぽっかり生まれてくるのだ。




というものでした。


ベン・シャーンは、線にその最も魅力がある作家ですが、

その線は、造形の線ではなく 詩情の線ではないでしょうか。

ピカソの青の時代やクレーの線に通じる

詩情あふれる線の表現。


で、その詩情とは

生きているなかで感じる人間の営みの感慨というか、

歌といってもいいようなものだと思います。



なのでベン・シャーン

詩を生み出すこころをどのように作るか

といったこのリルケの言葉に

共振したのだと思います。


by hamaremix | 2013-12-23 23:32 | アート | Comments(0)