「あほみたい」
付き合ってると思ってたアメリカ人のレオくん。
そのレオくんにフィアンセがいると紹介された娘。
母、福子につぶやいた一言。
悲しいけれど、おばかだった自分をちょっと笑うことば。
Pnterest Hamaremix 「レキシの現在」より
人は究極に近い出来事がふりかかってきたときに
その重圧からのがれるために発する、いいことばがあります。
「笑うしかない」です。
締め切りまでとうてい間に合いそうにない仕事量を与えられたとき、
「もう笑うしかない」
って言うと重圧をちょっと楽しめる雰囲気にもっていけます。
Pnterest Hamaremix 「レキシの現在」より
今描いている私の「絵」は、「 笑うしかない 」絵なのかもしれない、と思うようになってきました。
法隆寺を題材にしていますが、サイエンス・フィクションSFならぬ仏教フィクションBFというていで、ハリウッド的に爆発しています。
このまま描き進めていいのだろうか、、、何度も迷いましたが、これも私の中から出てきた「借り物」でないリアルを感じることができてきたので、押し進めようと思いました。
先日、ベートベンの「運命」を聴きました。両親の遺産のひとつですが、あの「じゃじゃじゃじゃ〜ん」はよく知ってるし、あまり聴きたくないなぁ〜と後回しにしてきました。でも、もう、ひとまわりしたし、聴いてみ、と制作をしながら聴いていました。
「運命」は若い頃に聴いていたんでしょうね、けっこう聞き覚えがありました。
その、第4楽章まで聴いてきて、身体が音楽に反応し始めました。心臓と背骨をわしづかみにされ、最新アトラクションのごとく空中をふりまわされ、頭はくらくらしながらも歓喜の感情が、沸いてきました。
そして聞き終わったときには、自分の身体にまとっている無意識に縛られている殻まで、この曲でブ壊してもらった気になれました。
最後は笑うしかない身体の反応でした。
いや〜、なんという体験の40分だっかことか。
わたしはベートーベンに大変の勇気を力をもらいました。
「小さく生きてるんじゃないよ!」
「小さいこと気にすんな!!」
「殻をやぶれ!」
って。
この音楽を作ったベートーベン。そうとうな激情家だったと思いますね。その感情のエネルギーが「ジャジャジャジャ〜ん」の運命を乗り越える力となって、ぐいぐいと聴くものに力を与えるのでしょう。
この「運命」ショックがあって、私は今の絵をどんどん前に進める気持ちがさらに強くなりました。
その先は笑うしかないかもしれないですが。
私が聴いたのはオットー・クレンペラーの指揮のです。