日本絵画の星-43(近代編)07
竹内栖鳳
(たけうちせいほう)1864-1942
竹内栖鳳は京都で生まれ、京都絵画の伝統「写生表現」を
西洋絵画の影響を受けつつ、
日本画の革新運動の旗手となった絵描きです。
1900年にパリ万国博覧会での受賞に際し渡欧、
見聞したターナー(英)やコロー(仏)の手法を積極的に学んだことで知られています。
その頃の有名な絵がこちら、
「大獅子図」1902年頃
フランスかどこかのヨーロッパで写生をしたものをモチーフに描いたんだと思います。
私も3年前だったか京都市立美術館で見た「竹内栖鳳展」でも
とても印象に残った絵です。
でも、いいかと言われれば、
図鑑的な描き方なので、面白いとは思いません。(えらそうに、)
ですが、
本物のライオンをリアルに描いただけで、
当時の日本ではとっても話題になったということは想像出来ます。
風景ではこれが有名ですね。
「ベニスの月」1904年
まだまだ全然西洋のことなんか見たこともない日本人がほとんどだった時代にこの絵のインパクトはすごいものがあったのではと、歴史的意味を大きく感じる絵です。
ですが、今見ると、、わりと普通、、、
と思ってしまうのですが、絵はそれが描かれた時代も考慮して見た方が良い場合もあります。
この、あんまり面白くないスケッチ時代より、後西洋画の絵の概念を咀嚼した上で日本の風土にあった絵を描いた画業がやはり魅力的ですし、素晴らしいです。
時代順に作品を見てみましょう。
「アレ夕立ちに」「アレ夕立ちに」1909年
竹内栖鳳が描いた数少ない人物画です。清元の「山姥」に取材し、舞妓を描いたものですが、後進の指導にあたった上村松園の絵はこれがなかったら、生まれたかどうか分りません、、、
舞妓をこのように描くことが京都の美の伝統に繋がった面もあるのではないでしょうか。
これも有名な人物画
「絵になる最初」1913年
男49才にして描けた境地ですかね。。
さらに
「日稼」1917
平面性に戻って描かれたような、今風じゃないですか、、、現代こうゆう風な絵を描く人います。
ちょっとここだけさかのぼりますが
1910年の絵
「散華」1910年
あれ、学んだはずの西洋風デッサンは、どこへ行きました???
いえ、いいんです、、、
さて、展覧会でもとっても人気だったのが、( 猫ブームに乗った、)この絵、、
「班猫」1824年
かわいい絵の範疇には入らないと思いますが、、
猫の毛の表現の細かさが、先人たちの絵にはなかったのではないでしょうか。
その10年後
「静閑」1935年
おや、一番最初の絵心があらわになったスケッチ風描写!!
これいい。
かわいい絵に認定します。(誰、君?)
さて、最晩年、亡くなる年に描かれた名作。
このポストカード、展覧会で買いました。
「春雪」1942年
竹内栖鳳