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浜本隆司ブログ オーロラ・ドライブ

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浜本隆司のブログ

浅井忠

私の画浪人時代、、

高校を出たものの美大、芸大受験のため

浪人していた時代。


大阪、京都(関西)には美大芸大受験の塾が多くありましたが、

大阪よりかなり多い数の塾が京都にあったようです。


京都の◯○塾は有名な先生がやってるとか、

あそこは古い歴史のある絵画研究所だとか

噂が流れて、世の中に情報に疎い私なんぞも知っていました。



当時、何故か浅井忠という画家は有名でした。


なんでも京都の美術研究所の重鎮の重鎮という

話でした。


どんな絵を描くのかと気になって見てみると、

古〜〜い日本の風景を、

土臭く描いた油絵で、

昭和のテレビ第一世代の私には、

なんとも土臭い絵なのかと、面白みの無いこと〜〜〜

っていう印象でした。



残念な書き出しになりましたが、

本当の感想なので、、、



日本絵画の星-42(近代編)06

浅井 忠

(あさいちゅう)1856-1907



浅井忠の代表作と位置づけられていて重文でもあるのがこれ

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「 春畝(しゅんぼ)」1888年



この2年後、こちらも代表作
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「 収穫 」 1890年

「この頃、浅井の描いた日本の農村風景を見るとわかるように、
浅井がめざした写実とは見るものに安心感を抱かせるような情感を含んだ
リアリズムである。
ただ単に克明に対象を写すと言う意味での写実から
自然や人間の観察を基にしてそこに表れる自然観や生活感を
写すものに変化していることがわかる。/古田亮」


よく喩えられるのはミレーで、
日本のミレーなどと、、言われて、、、、


確かに自然をリアルに写すことよりも、
自然とともに生きる農夫や漁師の生活が浅井忠の主なテーマだと思います。

制作年代が分らないのですが、

これなども

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ミレー風です。


ですが、キリスト教が背景にあるミレーに比べると、
辛い生活感がにじみ出てくるしかないので、
まさにリアリズムと言えそうですが、
ありのままは辛いですね。



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農夫帰路 」 1887

当時の日本でも色彩はもっと豊であったはずなのに
この茶色ベースの色彩は
西洋古典絵画の一面的な捉え方からきているのではないでしょうか。


浅井はイタリア人画学教師アントニオ・フォンタネージに師事して、

彼から絵を習っているのですが、

フォンタネージの絵も茶色っぽいんですよね。




ですが、浅井のデッサン力は確かなものです。



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農家室内 」 1887


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「八王子付近の街 」 1887


このスケッチ風油絵なんかは、

当時の写真以上にこの時代の空気感が伝わってきます。




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藁屋根 」 1887


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「 綾瀬川付近ペン画 」1885年



これから約10年後の作品

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「 漁婦 」1896年


この絵の描き方には少し軽ろみが感じられます。





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「 武蔵野 」1898年

これは、、、あれ、、武士を描いてますね〜〜

/ 本作品は、武士が鷹狩りをする場面を描いたものである。

猟犬を連れた犬引きが、背丈よりも高い草むらに潜む野禽をおびき出し、

その獲物を鷹匠の放った鷹がいまにも捕えようとしている。

本作品は、農村や漁村の風景を主題とした作品にみられる浅井独特の情感の表出に乏しく、

歴史画風に描かれている。

また、武士の装束や馬などが克明に描写され、彼が得意とした脂っぽい色調ではなく

明るい色調で全体がまとめられている。

1905年(明治38)に彼は東宮御所東二の間の綴織壁飾の原画として《武士の山狩》を描いているが、

本作品はそれを連想させる。

武士の姿を歴史上のものとしてではなく、むしろ現実のもののように描いたところに、

武家出身の浅井らしさがある。/net 引用




1900年(明治33)から2年間フランスに留学しています。


グレーという地方を描いた水彩や油絵も有名です。




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「 グレーの洗濯場 」




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「グレーの森」 1904年


描く風景が違うと、絵も変わります。





こちらは最晩年の作品


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「 雲 」1903-07



とてもいいです。






さて、最後にプロフィールです。


浅井 忠

佐倉藩士の子として生まれた浅井忠は、

イギリスで洋画を学んだ国沢新九郎の画塾彰技堂に入門した。

同年、工部美術学校に進み、イタリア人画学教師アントニオ・フォンタネージに師事する。

1889年(明治22)には洋画団体である明治美術会の創設に加わり、

同会主催の展覧会に《収穫》(1890年、東京藝術大学大学美術館)

など多くの作品を発表した。

1900年(明治33)から2年間フランスに留学した際、パリ万国博覧会を訪れ、

アール・ヌーヴォーをはじめとするヨーロッパ芸術に魅せられた浅井は、

図案制作に関心を抱く。帰国後は京都高等工芸学校、関西美術院などで後進を育成した。


安井曽太郎梅原龍三郎石井柏亭津田青楓向井寛三郎を輩出しており、

画家としてだけではなく教育者としても優れた人物であった。また、正岡子規にも西洋画を教えており、

夏目漱石の小説『三四郎』の中に登場する深見画伯のモデルとも言われる。

1907年12月16日、心臓麻痺のため死去。
























by hamaremix | 2018-09-15 10:46 | Comments(0)