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浜本隆司ブログ オーロラ・ドライブ

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浜本隆司のブログ

東洲斎写楽

歌舞伎が庶民の娯楽の王座を占めていた
江戸時代後期。

人気歌舞伎役者の顔をクローズアップした「大首絵」は
今でいえば人気俳優のブロマイドのようなもの。


喜多川歌麿を見いだして世に送り出した、
版元の蔦屋重三郎が次にデビューさせたのが、写楽だった。



日本絵画の星 32 

東洲斉写楽 (生没年不明)/江戸後期


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「市川鰕蔵の竹村定之進」

あまりにも有名なこの歌舞伎役者の絵、市川鰕蔵。

写楽の歌舞伎役者絵は今でこそ、
日本美術のとっても秀でた存在として語られますが、
写楽の描いた役者絵は当時は
あまり売れなかったそうです。


それはなぜか。
写楽の筆にかかると、美貌で知られた女形も、
無骨な男の顔の輪郭や。わし鼻、太い眉、
太い首、平らな胸など、
美的でない所まで隠さずに描きだされ手しまいます。

艶色が売り物の歌舞伎役者の間で、
写楽の絵は不評だった。
また贔屓の役者絵を買い求めるファンにも好まれなかったのです。


歌麿のあと彗星のように現れた写楽
しかし、彼の制作活動は10ッ月の間しか
認められていません。

売れない写楽は、現在のアイドルのように、
人気がないことで
泡となって消えてしまったのでした。


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「三代目大谷鬼次」


写楽の版画は肉眼で見ると、他とは違って
格段の刷りの美しさをまのあたりにします。

それは、

コストの高い雲母摺(きらずり)
ー雲母という鉱物の粉を混ぜて摺ったもので
真珠のような光沢が生まれたからです。



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「 三代目瀬川菊之丞の田辺文蔵妻おしづ 」




うむ、実物をいくつか見ましたが、掛け値なしに美しいものでした。




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「 市川男女蔵の奴一平 」



彗星のように現れて、10ヶ月あまり、
写楽は浮世絵の歴史を彩る傑作を多数描きましたが、
結局どれも江戸の大衆に支持されるヒット作とはなりませんでした。

売れない写楽はそのまま突然姿を消してしまったのでした。






  • 謎の天才浮世絵師
  • 生涯・経歴: 寛政6年(1794年)突如として浮世絵界に現れ、
  • 10ヶ月の期間内に約145点あまりの浮世絵を発表し、
  • 忽然と姿を消した正体不明の謎の浮世絵師として知られている写楽。

  • 生没年、出身地、師弟関係なども不明であり、
  • また、彼を取り巻く謎として 

  • ①一般的には浮世絵師は版本等の挿絵を担当してから、
  • 1枚絵を手掛けるのに対し、写楽は大版錦絵28図という大作であったこと 
  • ②写楽の作品のすべてが版元蔦屋重三郎による独占販売であったこと
  •  ③寛政6年~7年という短い活動期間はなぜか 
  • という3点がさらに謎を深めています。
    ドイツの美術研究家ユリウス・クルトが
  • レンブラントベラスケスと並ぶ世界三大肖像画家と紹介したことがきっかけで、
  • 大正時代頃から逆輸入する形で日本でもその評価が高まりました。


  • 作風・モチーフ: 役者の表情や顔などを独特のデフォルメによって描き、
  • 内面までもを露呈させるかのような強烈なインパクトのある作品群が特徴です。
  • 短い制作期間でしたが、スタイルによって4つの期間に区切ることができます。
  • 【第1期】寛政6年5月。「大谷鬼次の江戸兵衛」に代表されるような
  • 大判役者大首絵図を手掛けた時期で、写楽の評価が最も高い 
  • 【第2期】寛政6年7月。大判・細判役者全身像として、
  • 役者の容貌の誇張を抑えて全身の表現により
  • 場面の雰囲気をつくりだしている 
  • 【第3期】細判役者全身像・間判役者大首絵・相撲絵 
  • 【第4期】細判役者全身像・相撲絵・追善絵・武者絵等

  • 評価と影響:当時写楽は賛否両論あったようで、
  • 厳しい評価としては、モデルを欠点さえも美化せずに誇張したり、
  • 役者の内面を生々しく描きだしているとして酷評しています。
  • しかし、写楽の作品によって大首絵の位置は高まり、
  • 役者絵の作画、販売量の増加を導いたと考えられており、
  • 後世に与えた影響も多大であるといえ、
  • 今日でも日本を代表する浮世絵師として世界中で輝きを放っています。




























by hamaremix | 2017-09-04 21:19 | 日本絵画の星 | Comments(0)