尾形光琳
画面以外になにものもない世界。非情美をたたえた傑作。
岡本太郎
日本絵画の星 16 尾形光琳(1658-1716/桃山~江戸初期時代)
日本絵画の頂点に位置づけられるであろう、
「燕子花図屏風」(六曲一双)と「紅白梅図屏風」(二曲一双)。
その作者が尾形光琳。
さてその光琳について、私が何を語ろうとも、
新しいことも言えず、語り尽くされたことをくり返すに過ぎないでしょう。
なので、ここは作品を張る以上のことは極力抑えておこうと思います。
では、尾形光琳が開いた日本デザインの源流「淋派」。
400年ということで、去年は盛り上がりましたが、
その「淋派」とはどうゆうものでしょう。
村重寧「淋派といいますと、現代でも一般に大変な人気がありますけれど、
その人気の秘密、なぜ淋派がこれほどもてはやされるのでしょう?」
加山又造「端的にいえば、大学の卒業式のときに、女学生が振り袖に淋派模様
をつけてくるということですかねぇ。クリスチャン・ディオールなんかも、
その気になってみると、淋派模様を描いているような気がしてきますもんねぇ。
(笑)僕も淋派の系譜でやっていると言われ方をされるのですけれど、僕自身は
とくに淋派がどうのということは、あまり考えたことはないんですよ。
ただ、特別に意識しなくても、日本的意匠即淋派という、精神的・感覚的な
拠り所としてあるんでしょうね。」
「日本の美と文化/アート・ジャパネスク」講談社
日本の意匠、とくにグラフィック・デザインとテキスタイル・デザインの
日本的美の源流とその潮流が「淋派」と言えるのでしょう。
その「淋派」の祖、俵屋宗達は扇子のデザインを得意としましたが、
尾形光琳は団扇を得意としました。
「椿図」
「伊勢物語 菊図」
まったくもって、上品で、洒落ていて、現代的ですね。
加山又造さんのご意見に納得です。
尾形光琳が絵を生業として始めたのが40歳をこえた頃かららしいです。
それまでは、遊びに遊んでいたようです。
高級呉服商「雁金屋(かりがねや)」の次男として生まれ、
上流社会のなかの交流で、粋な遊びをおぼえていったようです。
ハイセンスなデザインを起こそうと思えば、
やはり遊びはとっても重要。
遊びのないところから楽しくも粋なデザインなど、生まれないでしょう。
尾形光琳の絵やデザインは40まで遊んだからこそ創造できたといえるでしょう。
30才の時に父がなくなり莫大な遺産を引き継ぐも、
2年後、女性問題の不始末で訴えられ、家などを与えて示談にしている。
その後も遺産を使い果たし、質屋にものを入れ、
弟の乾山には借金して困らせるような生活になっていったらしいです。
食い詰めた挙句に、絵師として身をたてることになったようです。
なんだかんだとウケウリを書いてしまいました。笑
絵を見ましょう。
「燕子花図屏風」左隻
「燕子花図屏風」右隻
一本一本の燕子花は写実的に描かれていますが、
その並べ方(構成)と金箔地を生かした描き方は、
それ以外のあらゆるものを除くことで平面性が際立ち、
最高のデザイン美になっています。
晩年の作とされる「孔雀立葵図屏風」
二曲一双で。今は2作品になっていますが、
もとは表裏の関係の屏風だったそうで、2点の構図的な繋がりはありません。
「孔雀図」
「立葵図」
そして、
「紅白梅図屏風」
素晴らしいということ以外に言葉がありません。
ダ・ビンチの「モナリザ」にも匹敵するでしょう。
「燕子花図屏風」は岡本太郎さんが言うように、
画面以外に何も無いというような、プレゼンスがありますが、
「紅白梅図屏風」の方は、精神的な奥深さを感じます。
そうゆうことでは、やはり「紅白梅図屏風」は芸術作品であり、
人生を感じさせる隠喩が読み取れそうです。
「燕子花図屏風」は王朝の古典「伊勢物語」東下り八つ橋に想をえた意匠である。
では、「紅白梅図」はなにをモティーフにした作品であろうか。
梅は、本来中国大陸の花であり、そのかぎりでは漢画ということになる。
とすれば、宋代の文人林和靖(りんなせい)「山小梅」にある
「疎影は横斜して水清浅、暗香は浮動し月黄昏」の一詩を題材としたものであろう。
月夜の風情を表現したことになり、流水波文における画法の選択も
その主題にそって行われたはずである。
/衛藤駿
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かわいい光琳
最後に尾形光琳はもともと遊び人、洒落人だったこともあって、
絵にもそうゆう遊びこころのあるものも多く描いたようです。
そのひとつが「竹に虎図」です。
「竹に虎図」(部分)
ちょっと大きな猫ですよね〜。見てると自然笑顔になります。
「竹に虎図」(全体)