狩野長信
1960年代私が小学生だった頃、
両親がお店の近くにあった郵便局で、
新しく出た切手をシート買い(今でいう大人買い)していました。
それを、私らに持っておけと毎回くれていたので、
この1960年代の日本郵便の切手のコレクション、結構弟と一緒に持ってます。
これもあったような気がします。見覚えがあるので。
ただ見覚えというのは、カタログを見て知ってるという可能性もあって、
実際に持っているか確認はしていません。
汗、どこに行ったやら、、、、、
さてこれは日本美術からの引用であることは分っていましたが、
最近初めてこれが国宝の
「花下遊楽図屏風(かかゆうらくずびょうぶ)」だと知りました。
但し、この歌舞伎踊る役者の部分だけ切り取ってあったのです。
実際はこんな風な場面の踊り子さんです。
これは桃山時代の風俗の絵としても評価の高いものです。
踊っている姿の描写に、
それまでの絵にない躍動感があって、当時の人の遊楽の高揚感が伝わってきます。
この絵は
狩野長信の手によるものです。
日本絵画の星 11 狩野長信(1577-1654/桃山~江戸初期時代)
狩野長信は
狩野派の中で最初に徳川家の御用絵師となった人で、
家康の存命中に仕えて、京都から駿府に移り、秀忠の江戸入りにも随行したとの
記録があるほどの狩野派当時の長老格の人です。
この「花下遊楽図屏風」は残された作品の少ない長信の傑作とされる一枚です。
花下遊楽図屏風 左 / 東京国立博物館
この一番右の踊り子達が有名ですね。
日本美術史に残る名場面のひとつ。
桃山時代は急速に都市が発展したことから、
民衆が歴史に登場し、新たな風俗を生んだ時代。
刀を持った男装の麗人たちの舞いは、
当時大流行した歌舞伎踊りだと言われてます。
桜の下では踊りを眺め、宴を楽しむ人達、
そして左の屋根のような高いところからこの踊りを眺めている人達、
下にはおエラい方を表す籠が、、、
1603年に出雲の阿国が北野天満宮で始めたとされる「歌舞伎踊り」
当時は全くの新しい芸能で、
すぐに流行した。
画面右の踊りがまさにそれで、
武家や公家の間でも人気だったことがわかる。
「日本絵画の楽しみ方」/池田書店
さてこの絵にはペアの右の屏風があります。
それがこちら。
花下遊楽図屏風 右 / 京都国立博物館
三味線を弾く魅力的な演者の前に、
姫らしき高貴なお方が、、、、
当時はまだ豊臣の時代だったようなので、
これは、、、、、
しかし、その姫の部分が白黒になっています。
これは関東大震災の時にここが焼けてしまいたということで、
当時の記録写真を合わせているのです。
あ〜〜〜、もったいない、もったいない。
狩野長信のもう一点。
「桜、梅海棠図屏風」
なんでしょう、とってもま〜るい感性、
しかも女性的な色気があるじゃないですか。
画面にダイナミックな雲の動きも感じられる。
最後にもう一枚。
「玄宗皇帝・楊貴妃図屏風」
大きな画像がないので、細部が分らないですね〜〜。
ここではあまり躍動感のようなものは抑えられています。
関係ないですが、
NHKの「歴史的の選択?」みたいな番組で阿倍仲麻呂の時に
阿倍仲麻呂が玄宗皇帝に寵愛を受けたってことを知りました。
両親がお店の近くにあった郵便局で、
新しく出た切手をシート買い(今でいう大人買い)していました。
それを、私らに持っておけと毎回くれていたので、
この1960年代の日本郵便の切手のコレクション、結構弟と一緒に持ってます。
これもあったような気がします。見覚えがあるので。
ただ見覚えというのは、カタログを見て知ってるという可能性もあって、
実際に持っているか確認はしていません。
汗、どこに行ったやら、、、、、
さてこれは日本美術からの引用であることは分っていましたが、
最近初めてこれが国宝の
「花下遊楽図屏風(かかゆうらくずびょうぶ)」だと知りました。
但し、この歌舞伎踊る役者の部分だけ切り取ってあったのです。
実際はこんな風な場面の踊り子さんです。
これは桃山時代の風俗の絵としても評価の高いものです。
踊っている姿の描写に、
それまでの絵にない躍動感があって、当時の人の遊楽の高揚感が伝わってきます。
この絵は
狩野長信の手によるものです。
日本絵画の星 11 狩野長信(1577-1654/桃山~江戸初期時代)
狩野長信は
狩野派の中で最初に徳川家の御用絵師となった人で、
家康の存命中に仕えて、京都から駿府に移り、秀忠の江戸入りにも随行したとの
記録があるほどの狩野派当時の長老格の人です。
この「花下遊楽図屏風」は残された作品の少ない長信の傑作とされる一枚です。
花下遊楽図屏風 左 / 東京国立博物館
この一番右の踊り子達が有名ですね。
日本美術史に残る名場面のひとつ。
桃山時代は急速に都市が発展したことから、
民衆が歴史に登場し、新たな風俗を生んだ時代。
刀を持った男装の麗人たちの舞いは、
当時大流行した歌舞伎踊りだと言われてます。
桜の下では踊りを眺め、宴を楽しむ人達、
そして左の屋根のような高いところからこの踊りを眺めている人達、
下にはおエラい方を表す籠が、、、
1603年に出雲の阿国が北野天満宮で始めたとされる「歌舞伎踊り」
当時は全くの新しい芸能で、
すぐに流行した。
画面右の踊りがまさにそれで、
武家や公家の間でも人気だったことがわかる。
「日本絵画の楽しみ方」/池田書店
さてこの絵にはペアの右の屏風があります。
それがこちら。
花下遊楽図屏風 右 / 京都国立博物館
三味線を弾く魅力的な演者の前に、
姫らしき高貴なお方が、、、、
当時はまだ豊臣の時代だったようなので、
これは、、、、、
しかし、その姫の部分が白黒になっています。
これは関東大震災の時にここが焼けてしまいたということで、
当時の記録写真を合わせているのです。
あ〜〜〜、もったいない、もったいない。
狩野長信のもう一点。
「桜、梅海棠図屏風」
なんでしょう、とってもま〜るい感性、
しかも女性的な色気があるじゃないですか。
画面にダイナミックな雲の動きも感じられる。
最後にもう一枚。
「玄宗皇帝・楊貴妃図屏風」
大きな画像がないので、細部が分らないですね〜〜。
ここではあまり躍動感のようなものは抑えられています。
関係ないですが、
NHKの「歴史的の選択?」みたいな番組で阿倍仲麻呂の時に
阿倍仲麻呂が玄宗皇帝に寵愛を受けたってことを知りました。
by hamaremix
| 2015-12-27 11:15
| 日本絵画の星
|
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