池田の清酒
先日の池田城跡へスケッチに行った帰り、
S蛇行してぶらぶら散策していたら、
ちょっと大きな倉の様な古風な建物をみつけました。
なんだか、酒蔵みたい?
って思いながら角を曲がると
その建物の表側に出ました。
すると木の壁に「清酒/呉春」の看板が目にはいってきました。
およよ、、
これはこれは、本当に
「呉春酒造株式会社」の表札。
あ〜〜、池田の酒「呉春」はここで
造られているんだぁ。
大きな看板はなく
街中にさりげなく立っていたのが印象的でした。
ちょいと「呉春」のCM
【池田酒/呉春】
池田の町には、今では「呉春」と「緑一」の2軒の酒蔵しかありませんが、
江戸中期には下り酒(江戸積み酒)の銘醸地として、最盛期には38軒の酒蔵が
ありました。
その最盛期であった江戸中期の池田酒発展には、池田の酒造りの祖と云われる
酒造業者が増え当時甘口の酒が台頭していた元禄の世に、猪名川の水を仕込み水
にして醸したスッキリした味わいの池田酒は”辛口”と評されて、たちまち盛況
となり自信を持って徒歩で江戸に売り込みに行ったところ大盛況となり
【池田の町に呉春現る】
司馬遼太郎の「天明の絵師」の主人公である松村月溪(1752年~1811年)が、
愛妻を亡くした傷心で池田の町に移住してきたのが天明元年(1781年)のこと。
松村呉春は四条派画家の祖として晩成しました。前半は傷心で過ごし、改名まで
した池田の町で呉春が得たものは大きかったのでしょう。
【銘酒「呉春」の由来】
呉春特吟の首掛け札に『呉春は池田の酒のこと。呉は池田の古い雅稱
「呉服(くれは)の里」に由来し池田のこと。春は唐代の通語にて酒のこと。
依って呉春は池田の酒。』と記されていますが、銘酒・呉春の名が松村呉春から由来
していることはあまり知られていません。また、呉春は創業が江戸中期の元禄年間(元禄14年(1701年)頃)と云われていますが、呉春の名が使われるようになったのは、天明以降の弘化4年(1847年)頃からと云われています。
【呉服の里に現存する最期の池田酒醸造元 呉春】
呉春は五月山から流れる地下水脈の伏流水を自家井戸より汲み上げて仕込み水として使用しています。その五月山伏流水が、呑み飽きしない五味調和のとれたスッキリタイプの酒質に多大に貢献しています。
またバブル期に蔵の北(五月山)側にマンション建設計画が浮上し、水脈が途絶えて呉春の酒造りに支障をきたすと愛飲家や住民の反対運動で、計画が中止となった逸話はあまりにも有名です。
実は、「呉春」を呑んだことがあるかどうかについては
記憶朦朧です、、、、、笑
近々呑んでみないと、、、辛口。
これが本店なのだ