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浜本隆司ブログ オーロラ・ドライブ

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浜本隆司のブログ

ホイッスラー・薄暮の印象派

小雨の日曜日、曇り空、京都
そしてホイッスラーの絵画。

ホイッスラーの絵を見るには晴れた日より、
少し雲ったり小雨だったりする方がよかったかも。

そしてジャポニズムのコア、京都で。
ホイッスラー・薄暮の印象派_d0218056_7181589.jpg


もう、あまり会期終了まで日がなかったので、
慌て行きました。

ホイッスラーという画家は一般にはあまり知られていなかった画家です。
画家の中でも知らない人は多いかもしれません。
今まで日本では認知度が低かったからです。
学校の教科書に載ることもなかったのではないでしょうか。
今回の展覧会で初めて知った方も多いと思います。

ホイッスラー[1834-1903]はアメリカ人ですが、
若い頃パリでフランスの印象派に関わり、
その後渡英してラファエル前派の連中とも交流しながら、
ロンドンを拠点に活躍していた画家です。


日本での認知度は低いですが、とってもいい画家なんです。
当時のヨーロッパの流行であった日本趣味もふまえているので、
油絵ですが、日本の絵の最大の特徴である
平面的な空間構成を意識していて、
私たち日本人の感覚に無理なく入ってきます。

それにグレー調子の色彩が、ワビサビに繋がるところがあります。


一番有名なのは「Mr.ビーン」の映画にも登場した
「灰色と黒のアレンジメント・母の肖像」
でしょう。

ホイッスラー・薄暮の印象派_d0218056_7372833.jpg

今回のホイッスラー展には来ていません。

映画ではアメリカの美術館でビーンがこの絵を汚してしまって
大焦りしてました。笑

グレーでしょ。


これも来てなかったですが、
白(グレーの仲間)を基調にした優雅な作品。

「白のシンフォニー・白の少女」
ホイッスラー・薄暮の印象派_d0218056_7481542.jpg




人物画も素晴らしいですが、
風景画にも彼ならではの世界を構築しました。

海と港、川と橋脚、帆船などをメインモチーフにして
空と海のなかに全てのモチーフが溶けこんでいった
ような風景画。

しかも夕方であったり、暮れてしまったあとであったり、
すっかり夜であったりと、
「薄暮れの印象派」とでも呼びたくなるような、
やや、感傷的にも見える
魅力的な作品たちです。



展覧会では私はこの
「肌色と緑の薄暮・バルパライソ」に強烈に惹き付けられました。
ホイッスラー・薄暮の印象派_d0218056_757761.jpg


バルパライソとは南米にある港町。(国は忘れました。)

色彩がとにかく半端なく「美しい」でした。


これから行かれる方、裸眼で是非これ見てきて下さい。




さて、このホイッスラーにとんでもない作品が一点あります。
残念ながらこれも来ていません。

「黒と金色のノクターン・落下する花火」

という名の絵ですが、

殆ど抽象画に見えます。

しかし、夜、花火、印象、とくれば
抽象化されてもおかしくないテーマですが、
当時これが発表された時には、
当時イギリスで有名だった美術評論家に
ズタボロにけなされてしまうのです。

「こんな、絵の具を投げつけたようなものに
高額の値段をつけて出品するとは、、
しかも数日しかかけて描いてないとは
(頭おかしいんじゃないの的な)」
と。


この絵には、当時のイギリスの新たな運動であった
ラファエル前派の、神話的なモチーフもなければ、
きらびやかな美も感じられなかったのかもしれません。

しかしこの絵には
今を生きる我々の個人の心に通じる
超孤独なこころの在り方を
比喩しているような画面で、
時代を先取りしたような表現だったので、
当時の美術評論家といえどもその先見性を
見抜けなかったのでしょう。

とても孤独な絵です。

マイルスのトラッンペットの音よりも孤独です。


究極の絵画21
ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー
(James Abbott McNeill Whistler, 1834年7月11日-1903年7月17日)
「「黒と金色のノクターン・落下する花火」」

ホイッスラー・薄暮の印象派_d0218056_8131492.jpg



ホイッスラーは自分を馬鹿にした
この評論家を裁判に訴えます。

そして勝利しますが、その裁判費用のために
破産してしまったそうです。

すごいですよね。
自分の絵の名誉のために破産してしまったなんて、、、、







以下、ウィキより・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー
(James Abbott McNeill Whistler, 1834年7月11日-1903年7月17日)は、
19世紀後半のアメリカ人の画家、版画家。おもにロンドンで活動した。
印象派の画家たちと同世代であるが、その色調や画面構成などには浮世絵をはじめとする
日本美術の影響が濃く、印象派とも伝統的アカデミズムとも一線を画した独自の絵画世界
を展開した。

ホイッスラーは、1834年にアメリカ・マサチューセッツ州ローウェルに土木技師の子として
生まれた。アメリカ人であるが、パリで美術を学び、画家としての生涯の大半をロンドンと
パリで過ごしている。
ホイッスラーは、父が鉄道建設の仕事のためロシアに移住するのに従い、1842年(1843年とも)
からの数年間をロシアのサンクトペテルブルクで過ごし、その後、ロンドンやブリストルにも住ん
だ。1851年にはアメリカに戻ってウェストポイントの陸軍士官学校に入るが1854年に中退。
1年間ほどワシントンD.C.で地形図の銅版画工として働いた後、1855年にはパリに居を構えている。
パリでは当時のリアリズムの巨匠であったシャルル・グレールのアトリエに通うが、
その伝統的な画風にあきたらず、当時の革新的な画家であったギュスターヴ・クールベに
強い共感を覚えた。
パリでは画家のアンリ・ファンタン=ラトゥール(1836 - 1904)、アルフォンス・ルグロ(1837 - 1911)と「三人会」を結成している。
数年後の1859年にはロンドンにもアトリエを構え,ロセッティ兄妹と知り合った。
以後、ロンドンとパリを往復しつつ制作活動を続け、1860年からはロンドンのロイヤル・アカデミーに出品している。
1862年にロンドンの展覧会に出品し、翌1863年にはパリの「落選展」に出品された、
当時恋人だったジョアンナ・ヒファーナンをモデルにした『白の少女』(ホワイト・ガール)
で一躍注目を集めた。
この作品では、モデルの少女の白いドレス、手にしている白い花、背景の白いカーテン、足下の白い敷物など、さまざまな白の色調が対比され、人物の内面描写よりも色彩のハーモニーを表現すること自体が絵画の目的となっている。この頃から彼の作品には「シンフォニー」「ノクターン」などの音楽用語を用いた題名が付されることが多くなった。

1876年から翌年にかけては、パトロンであった富豪レイランドのロンドンの邸宅の室内装飾を手が
けた。壁面に孔雀を大きく描いた食堂の内装は、のちに部屋ごとワシントンDCのフリア・ギャラリー
に移されている。1879~80年はヴェネツィアで過ごしたが再びロンドンに戻り、1886年にはイギリス美術家協会会長に任命されるなど、名実ともにイギリス画壇の中心人物となった。1903年にロンドンで没している。



by hamaremix | 2014-11-12 08:25 | アート | Comments(0)

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