私のなかの「複雑系カオス理論」
今日、大阪はすごい、まさに大荒れの天気模様でしたね〜。
みなさん、大丈夫でしたか?
私は車で新御堂を移動してる時に、暗雲が空を覆ってき、みるみる内に暗くなり、
江坂で降りる時には、夜のようになり、
途端に土砂降りの雨が降ってきました。
ぜんぜん前が見えなくて、怖かったです。
こんな荒れた4月は記憶にないですねぇ〜。
まぁ、これで本当に、春がやってくるのでしょうね。
未来は予測不可能!
そのことを明確に理論づけたものを、「複雑系カオス理論」と言います。
ウケウリです。笑
今日、学校で久々にお会いした中谷ティーチャーから教わりました。笑
近年の私の、音楽的展開や絵の内容の劇的変化に関して、
中谷ティーチャーが
以前メールをくれました。
そこで
「君の作品展開は『複雑系カオス理論』的。と言われたのです。
聞いたことのある言葉だったのですが、
分らなかったのでwikiで調べて、分った気になりましたが、
全く分ってません。
しかし、また今日もその話題になって、
『複雑系カオス理論』って未来は予測不可能ってことですよね?と伺うと、
まぁ、そうそうと言ってくれました。笑
確かに、今の自分の制作の展開は5年前には、
想像もつかなかったことになっています。
今までの、自分の作品は、やっていて、
「面白くないってことはなかった」のですが、
どこか、心に「まだこれではないなぁ」という思いがあって、
自分が制作で本当に「やるべきもの」が、つかめてなかったのです。
自分で音楽を自由に作るようになってからかなぁ、
自分が本当にやりたいことが出来て、
楽しすぎて、舞い上がるような気持ちで音楽が作れたのです。
しかし、当時それが「絵」ではまだできてなかったのですね。
その時は
浜本隆司がこれまで作ってきた作品のイメージから
はみ出すような作品は、
思いついたとしても、制作として着手出来ませんでした。
そのことは、
今から考えると、
自分で自分の出来ることを小さく囲っていたのだと思います。
小さなこだわりだったのでしょう。
具体的には完全な「具象絵画」は避けてきたということです。
しかし、去年あたりから、
「これは自分のイメージではない」とか「これ描いたらどう思われるか」とかいう
否定系な発想は棄て、
頭に浮かんだことは、「描いていいんだ」と
もう、
自分のなかから湧いてくるイメージを全肯定するようにしました。
そうすると、
自分がやれることが、大海のように自分の前にどばーっと、
一挙に開けてきました。
「何を描いてもいいんだ」
というこの、当たり前のようなことが
やっと最近自分にできてきた気がするのです。
過去の自分にこだわっていた自分がいました。
イメージというものには、理屈じゃないですよね。
どんなことが、次、頭に思い浮かぶかは
全く予想不可能です。
なので、自分がこれからどんな絵を描いていくかは、
自分でも、分りません。
その未来予測不可能が
これからの自分の制作の大きな楽しみで、
早く、次、どうなるか自分で見てみたいという
わくわく感が
これからの制作の原動力になっていくのだと思います。
なんか好物でも持ち合ってといってるよ。去年はフジの花が奇麗に咲いていたんだけど、今年はどうかな、楽しみにね。
発表前の絵の内容に関しては、かなり、気を使って分からないようにしています。なので、構想の話も、とてももやもやとしか、話せないですが、、
春、カミンスーン!!
行けるものは行こうと思ってるのでまた教えて下さい。