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浜本隆司ブログ オーロラ・ドライブ

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浜本隆司のブログ

V.E. フランクル

真夏の日曜日、おはようございます。

この朝はある人物のことを書きます。

先週車に乗っている時に、聴くでもなく流していたAMラジオから、
ある女性が一人の男の人のことを紹介していました。

「彼はアウシュビッツの強制収容所のなかでの体験から、人生を深く見つめることになり〜〜」
「彼の著書、どんな時でも人生にイエスという、は〜」
「今だからこそ、彼の言葉を多くの人に知ってもらいたい〜」
V.E.フランクルは〜」

その幾つかの言葉に、とても興味をもったので、
携帯に「V.E.フランクル」とメモをとっておきました。

そしてアトリエにもどってすぐに「V.E.フランクル」と検索しました。

「ヴィクトール・フランクル(1905-1997)」オーストリアの精神科医、心理学者とありました。
いろいろ調べてみるなかで、とてもうまく彼の思考をコンパクトにまとめているサイトがあったので、以下紹介しておきます。(どこのサイトかは忘れましたが、すいません。一部引用させてもらいます。)

「人間が人生の意味は何かと問う前に、人生のほうが人間に対し問いを発してきている。だから人間は、本当は、生きる意味を問い求める必要などないのである。人間は、人生から問われている存在である。人間は、生きる意味を求めて問いを発するのではなく、人生からの問いに答えなくてはならない。そしてその答えは、それぞれの人生からの具体的な問いかけに対する具体的な答えでなくてはならない」
— ヴィクトール・フランクル 『死と愛』 みすず書房、1961年。(原題『医師による魂の癒し』)

多くの人は人生を「自分がしたいことをしてゆく場」と捉えてしまっている。このような「私のやりたいことをするのが人生だ」という人生観(欲望中心の価値観)に対し、フランクルは「私がなすべきこと、使命を実現してゆくのが人生だ」と述べているのである。
欲望中心の価値観では、例えば病気や人間関係等のトラブルはただの邪魔なものとしか眼に映らないが、「意味と使命中心の生き方」「なすべきことをなす生き方」では、それらのトラブルは何らかの意味がある、と受け止められるようになる。「これらの出来事を通して、人生が私に何かを問いかけてきている」「私に何を学ばせようとしているのだろう?」と受け止めることができるようになる、といったことをヴィクトール・フランクルは言っている。


ここ数年私が何となく考えていたことを、明確に言葉なったのを見たという感慨を得ました。
それは、彼の思考が一般化して、世間が彼に追いついてきたということなのかもしれません。
(私が何となく考えていたということは、彼の思考が私まで届き始めてきてる意味で。)

そしてフランクルの本が読みたくなって、
次の日早速、ジュンク堂+MARUZENに行き、彼に関する著書を購入しました。

彼の思考というか哲学はとてもあたたかいです。

アウシュビッツの人間の死に近い極限状態におかれた
人々の行為のなかから、
それでも「善」を行える人々の存在があったことを彼は体験しています。(「夜と霧」)

彼も含めて、アウシュビッツの生活のなかでも生きる意味を見いだした人々が
いたと言います。
そして戦争が終わり強制収容所から解放された後より、生きる意味がそこでは強くあったと。

フランクルは1997年まで生きて精神科医として、現代人の様々な病理にも、
解決の手だてを提案し実際に患者に向き合い処方を実践してきたということなので、
ますます、興味深い人物となりました。

V. E. フランクル
by hamaremix | 2011-08-07 10:49 | 哲学 | Comments(0)

by hamaremix