ブログトップ

浜本隆司ブログ オーロラ・ドライブ

hammererix.exblog.jp

浜本隆司のブログ

カテゴリ:哲学( 25 )

d0218056_20070062.jpg
pinterest 「お気に入り」より



私たちはまったくもって独りです。


自分にふりかかってくることは、

結局は自分ひとりのちからでふりはらうしかありません。

手助けしてくれたりする人はいても、

最後は自分のちからでふりはらうしかないのです。


生まれてくるのもひとり、

死ぬのもひとりで、、、

いきます。


なので

自分の人生は自分しか歩むことができません。

代役などいないのです。




でも、

ひとりでも、

自分を見守ってくれる人や、

自分の見方になってくれる存在もあるはずです。




今、

この世界に居なくても、

自分を

見守ってくれている方は

きっといるはず。



だと、



今日は強く感じ足し、思うことができました。








みんな、ひとりですが、ひとりではないのです。



by hamaremix | 2017-07-09 20:20 | 哲学 | Comments(0)
d0218056_10162964.jpg

Pinterest 「新しい視覚」より



突然ですが、




ものをみる視点って、いくつも設定できます。

簡単なところでは、ソフト・フォーカスとハード・フォーカスです。

それはたとえば
デッサンする時の
描き始めはものを大きく捉えて見るというのがソフト・フォーカスで、
そこにあるののを細部を見ないで、
全体のカタチ(存在)を見るということです。

風景を見る時であるなら、
焦点を定めず、眼に入る視野の全体を意識してみることになります。

そのソフト・フォーカスでものを見ている時には
自分の存在も感じて見るような感覚になります。



逆にハード・フォーカスは
デッサンではものの表面や細部の構造などを
焦点をしっかり定めて見ることです。

対象のものを「観察する」という態度になりますね。
それはよく「知る」という認識にいたる行為だと思います。

風景を見るときなら、一本一本の樹の存在、
屋根の瓦の並び、影のかたちなど、
普通は見ないであろう、「積極的に見る」といったことでしょうか。


絵を描く時はそのソフト・フォーカスとハード・フォーカスを
頻繁にきりかえてものを見ています。
そうしないと絵は描けないです。





絵や写真に限らず、
生活においても、ソフト.フォーカスとハード・フォーカスのきりかえは必要だな〜って思います。

今、目の前で自分に起こっていること、流れている時間を
しっかり見る(ハード・フォーカス)ことはもちろん大切ですが、

ちょっと、視点きりかえて、大きな視野で自分を含めて
今自分に起こっていることは、どうゆうことだろうかと
ソフト・フォーカスで見ることも忘れない方がいいです。

ハード・フォーカスだけで見ていては
ものごとが窮屈に見えてしまいます。
多くの悩みはこのあたりからくるのではないかな。

自分が窮屈になって、大きな視野(ソフト・フォーカス)が持てない時は
他の人から、アドバイスを受けて
自分のおかれている状態をソフト・フォーカスで見たようになれると思います。





複数の視点、「複眼の視点」が大事です。


by hamaremix | 2017-06-22 10:42 | 哲学 | Comments(0)
d0218056_9311916.jpg

「ブルー・マウンテン」

死んだあと人間はいったいどこに行くか、という問題があります。

神道的な万葉人的な考え方からすれば、

落ちつくところは山頂です。

死後、山頂あたりに漂っている霊が、時がたつと

そこに鎮まってご先祖様になり、やがて神になるのです。

さらに時がたつと、

その神が一年のうち一定の期間を限って山から里におりてくる。

そこで降りてきた神様を里人たちがお祭りをする。

それが正月でした。


祭りが終われば、神はまた山に帰っていかれるわけです。


「日本のこころ、日本人のこころ」山折哲雄



これはあくまでも神道的、また万葉人が思っていた死者の存在の感覚だそうですが、

山からかけ離れた都会に住んでいる、われわれには

馴染みにくいのですが、

お正月やお盆、お彼岸には、
この世界の何処からかやってきてくれる感覚は受け入れているんではないでしょうか。

どこからかと言った場合、やはりどこか高いところだと思うのですが、

やはり日本列島内じゃないかなぁとは思います。


そうすると、近くではないにしても

この列島を覆う森林の何処か、、、

と思うのは自然なことのように思います。



浄土真宗では、阿弥陀仏に導かれて浄土に行ったということになり、
死んだ人(霊)などこのあたりには居ないはずなんですが、、、、笑



d0218056_10212718.jpg





万葉人的な考えというのは次のとおりです。

『万葉集』には多くの「挽歌」が収められています。
「挽」は「柩をつぐ」という意味で、つまり挽歌は死者を悼む歌です。
(〜中略〜)
それら挽歌を読んでいくと、ほとんどの挽歌の背景に共通の観念もしくは信仰があることに気づきます。

すなわち、「死んだ人間の魂は必ず高いところへいく」

というものがあります。高いところの代表といえば山ですが、

前述のように、日本列島はどこに行っても山があります。

その山を取り巻いている雲や霧に死者の魂がのぼっていく、

といった歌が圧倒的に多いのです。


その例として

青旗の木幡(こはた)のうえをかよふとは 目には見れども直に逢わぬはかも
(倭姫王/やまとひめのおおきみ)

  [山科の木幡の山の上をあの方の御霊が行き来しているのは、ありありと見えるのに、
   もはやじかにお逢いできないことだ]


隠口(こもくり)の泊瀬の山の山の間に いさよう雲は妹にかもあるらむ
(柿本人麻呂)
  [泊瀬のやまの稜線あたりに漂っている雲は、亡きあの方なのであろうか ]



「日本のこころ、日本人のこころ」山折哲雄






なぜ、このようなことに興味があるのかというと、

私は「人間が死んだら無に帰す」という考え方が好きじゃないからです。


神道的な「霊魂や魂が死んだ後も残る」といった考え方や

仏教的な「浄土に向う」という考え方に共感を覚えているからだと思います。

それを信じているか?と問われると、

信じているとまでは言えませんが、

これまで日本人が持ってきた信仰に追従したいということだと思います。



だから、日本人が死についてどう考えてきたかに

興味があり、また知りたいのです。



d0218056_1022646.jpg

「微意玉」
by hamaremix | 2017-01-06 10:26 | 哲学 | Comments(0)
命あるものは必ず死ぬ。
人間もいつか必ず死ぬ。

って人間なら誰でも当たり前に知っていること。

「限りある命、悔いのないように生きよう。」

って誰でも考えますよね。


人はいつか死ぬ。お迎えがくる。

なので、生きてる間にあせって何かをなそうとします。

若い時は命は永遠にあるようなイメージで生きてますが、

歳をいくと、死がどんどん大きくなってきます。



でも、動物はどうなんでしょう?


たとえば犬。

犬は自分が死ぬって分ってるのでしょうか?




多分、分ってないです。

自分より大きな犬が近づいてきた時に、本能的に身の危険を感じるとは思いますが、

寿命によって犬は死ぬんだ、ということは分ってないでしょう。



日々「死」をイメージすることはないと思えます。




同じように猫、鹿、猿、豚、鳶、鷹などの

動物は寿命を思うことがない。


だから、あんなにのんびりと、余裕を持って、
日々、何もなくても、退屈することなく、あきることもありません。

それは人間にはなかなかできないというか、無理なことではないでしょうか。

欲というものが、ないということでしょうか。

そりゃ、もちろん食欲と性欲はありますが、
これは外せません。

人間の欲は食欲も性欲もあって、それ以外にもたくさん沢山欲がありますよね。


仏教の根本的な考え方に、
「欲を棄てること」というのがありますが、

それは普通できることではありません。
修行に修行を重ねた、ある一定の人しか欲は棄てれません。


そう考えると、動物は人間よりもどうどうとしているし、
歳をとってもあせることもなく、
ゆうゆうと生きていると言えますね〜〜〜。



戦国時代の、忍者の理想的なこころのありように「流水」ということがあります。

これは忍者が仕事をする時に邪念が入っては、しくじったりして、ことを成す時に

迷いや雑念が入って失敗するので072.gif、過去にこだわらない、過去は絶えず

過去として忘れ、流してしまうという考え方です。



素晴らしいですね〜。


死のことは忘れてしまって、余裕もって生きたいものです。







無理でしょうね。笑







ではでは053.gif053.gifまた。
by hamaremix | 2016-10-06 23:09 | 哲学 | Comments(0)
超訳「ニーチェの言葉」
これがあれば、他にどんな啓発本ももう要りませんよ。
笑、ホント。


123 勝手に行為の大小を決めつけない

「人間とは不思議なもので、勝手に行為に大小をつける。
大きなことをした、とか、小さなことしかできなかった、などと決めつける。

もっと不思議なことがある。人間は、自分がしなかった行為を悔いる。
しなかった行為なのに、あれは大きなことだったと本気で思い、
悔やんだりする。また、自分のした行為、自分のしなかった行為の大小を、
自分が決定できると思い込んでいる。
その大小が真実だとさえ思っている。

自分のした小さな行為が、実はある他人にとっては大きいことかもしれない。
その反対かもしれない。
いずれにしても、過去の行為を価値づけることは無意味なことなのだ。」

『悦ばしき知識』



よくあります。
なんか価値のあることをしたいとつい思ってしまいますよね。
私の場合、絵に対してがそうです。
このテーマは大きいぞ〜、とかまぁ軽い感じで描いたとして小さく見てるとか、

自分のなかで、まあまあかななんて思っている作品でも、
凄くいいと言ってもらったりすることがあります。
また頑張っていいのが出来たなぁなんて思っても、
他者からみたら、あんまり良くなかったりすることがあります、、、、




むむむ、あまり適切なコメントではありませんでした、、、、

物事の価値の大小を考えず、その時その時、自分のやるべきことに、
一所懸命であれ!ってことですよね。

それ大事ですよね、、

何処かで手を抜いてると、
他で手を抜いてはいけないところでも、
抜いてしまってるみたいなことになるような気がします。
by hamaremix | 2016-02-22 21:22 | 哲学 | Comments(0)
生きることが苦悩である(苦諦)とは、
“思い通りにならない”ということです。

そこで、苦悩が生起するメカニズムヲ知り、
苦悩を解体するための実践道を説きます。

その実践道(道諦)は<八正道>として表現されます。

その八つの正しい道程とは、

「正見(正しいものの見方)」
「正思(正しい思考)」
「正語(正しい言葉)」
「正業(正しい行い)」
「正命(正しい生活様式)」
「正精進(正しい努力)」
「正念(正しい記憶)」
「正定(正しい瞑想)」

だそうです。

では、ブッダが考えた「正しさ」とは一体どのようなものだったのでしょうか?
1、妄見(自分の都合によって認識がゆがめられる。)から離れる。

2、転倒(きちんとしたメカニズムを理解しない)を離れる。

3、「極端を離れる」

このような姿勢を「正しい」と考えたようです。

つまり、八正道の「正しい」というのは、偏りのないことを指します。

これが<中道>ですね。
<中道>のなかでも特に苦楽中道といわれるところです。
「ひとつのことにこだわって、もうひとつをおろそかにしてはならない」、
これが<中道>です。

「いきなりはじめる仏教生活」釈徹宗



長い引用でしたが、

苦悩が生起するうんぬんより、人間として

ちゃんとしたいという内容の話でした。
by hamaremix | 2015-06-02 22:54 | 哲学 | Comments(0)
d0218056_22311499.jpg
「世に棲む日々」司馬遼太郎1〜4巻を2ヶ月かかって
やっと読み終えました。

まーなんと遅いスピードの読書であることでしょう。笑





内容の舞台は幕末の長州藩で、
吉田松陰(寅次郎)の一生から
吉田松陰を師とする高杉晋作の若き日の死ぬまでの活躍が書かれてます。
時代的には
幕府の第2次長州征伐を跳ね返してしまうまでですね。


以前に少し書きましたが、吉田松陰のことが書かれている1巻
その後高杉晋作、伊藤博文、井上馨らが登場する2〜3巻までは、
長州藩の攘夷や開国、その時々の揺れ動く
藩の体制と権力争いの流れが複雑なこともあって、
その流れを追って説明する描写が
教科書的なところも多くて、読むのがつらいこともありました。

それが、4巻の高杉晋作個人の生き方に焦点をしぼって
書かれるようになって、
生き生きとした晋作像が浮かび上がってきました。


それからが、司馬遼太郎小説の醍醐味を味わえました。


高杉晋作の有名な辞世の歌

おもしろき こともなき世を おもしろく

やはりこれがいいです。



高杉晋作は毛利藩の高級武士として生まれながらも、
その一生は一書生、あるいは浪人的な立場に好んで落ちていたようです。

新しいことを始めて、それがうまく行くまでは熱心に関わるけれど、
活動が安定して自身もその管理や権威を持つような
立場を与えられても、
すぐに在野に降りてしまうことがたびたびです。

おもしろく生きたということは、
そんな落ち着いた役職で安定するより、
変革の時代にあっては、
その変革の可能性のあることはなんでもやったということを
言ったのでしょうね。


歌が好きで
ばか騒ぎが好きで、家庭の安定にとどまることをしなかった
行動しながら考える革命家。
また、人にインパクトをあたえることを容姿でも工夫した
パーフォーマー、
けれど、親や藩主には忠義を決して破らない、
温かくの面白い行動の人、

それが高杉晋作でした。





つい日常のこまごまとしたものに
惑わされてしまう自分の戒めに
吉田松陰〜高杉晋作のこの物語があったようです。





by hamaremix | 2015-02-10 23:06 | 哲学 | Comments(0)
d0218056_5394787.jpg

年寄りになったからって、賢くなるってもんじゃありませんよ。
用心深くなるだけですよ。

ヘミングウェイ

知らず知らずになぁ〜。



今私の一番好きな仕事といえば、夜空を眺めることです。
なぜって、この地上から、また人生から眼をそらすのに、
これほど良い方法があるでしょうか。

トーマス・マン

2次元の世界にどっぷり、音楽聴いたり、本読んだり、
ほとんど眼をそらせてるかもです。汗






d0218056_551518.jpg


仕事が楽しみなら、人生は極楽だ!
仕事が義務なら、人生は地獄だ!

ゴーリキィ

義務でない仕事って、そうあるものではないでしょうが、



幾つかの偉大な思想だけは、本当に自分のものにしておかなければならない。
明るくなるなるなどとは思いも及ばなかった
ところまで、それが光を投げてくれるから。

ジンメル

視野を広く持ちたいものです。
出来れば途方もなく広く。笑






d0218056_661028.jpg


人生というものは、通例、裏切られた希望、挫折させられた目論見、
それと気づいたときにはもう遅すぎる過ち、
の連続にほかならない。

ショーペンハウエル

人生の暗い一面ですね〜。



人生には一度か二度こうゆう窮地がある。
そのときにな、どうするかが、
英雄と凡人とのわかれめだぞ。

斉藤道三/司馬遼太郎

窮地、、すでに何回もありました。
凡人の対処しかできないよ〜。



d0218056_62573.jpg




笑いによる攻撃に立ち向かえるものはなんにもない。
だのに、君たち人間は、いつも笑い以外の武器を持ち出しては、
がやがや戦ってるんだ。

マーク・トウェイン

いつも笑いを上手く使える人はえらいなぁ。



日々の生活こそは凡てのものの中心なのであります。
またそこに文化の根元が潜みます。
人間の真価は暮らしの中に、
最も正直に示されるでありましょう。

柳宗悦

そろそろきちんとしなければ、、、










d0218056_637825.jpg

子どもを不幸にするいちばん確実な方法はなにか、
それをあなたがたは知っているだろうか。
それはいつなんでも手に入れられるようにしてやることだ。

ルソー

貧乏な家に生まれたこどもは幸福になれる?


鮎は瀬につく鳥は木にとまる、
人は情けの下に住む。

山家鳥虫歌

fumu







d0218056_649211.jpg



あ〜、おまえはなにをしに来たのだと・・・・
吹きくる風が私に云う。

中原中也

絵を描きにきました。




議論なんか、いくらしたって物事がはかどるもんじゃありません。
行なうべし、言うべからずですよ。

モリエール

今の過半数による可決方式の議会って、
日本人に向いてないような気がしてきました。


申しておきますが、思索などやるやつは、悪霊に
引きまわされて枯野原のなかを、ぐるぐる空回りしている家畜みたいなもんです、
その外側には立派な緑の牧場があるというのに。

ゲーテ



d0218056_772020.jpg

夕映えが美しいように、老人の場所から見た世界は美しいのです。

伊藤整

わかるなぁ。ww


一度とにかく顔を合わせて、ある程度まで心を触れ合ったどうしが、
いったん別れたが最後、同じこの地球の上に呼吸しながら、
未来永劫またと邂逅(めぐりあ)わない・・・
それはなんという不思議な、さびしい、恐ろしいことだ。

有島武郎

生きているのか、もう死んでいるのかも・・・

by hamaremix | 2014-09-15 07:19 | 哲学 | Comments(0)
「書は人なりといわれ、書を見ればその人がわかるという。
その人の境涯がわかるということであって、性格であるとか、
癖であるとかいうものにとどまらず、
もっと人間として深いところのもの、人間として生きてることの深さ、
それがわかるというものである。ということは、
書を書くことによって自らの生きざまを自ら作品に問うことができるわけである。」

原田正憲/「孤」原田正憲の書

書家原田先生の言葉です。

先生の書を感じ、先生の言葉の意味を理解しようとし、
何度も書集を開いていました。

沢山に先生の言葉が残されていてそれを読むと
書だけでは分からなかったはずの、先生の書に対する考え方が
知れることになりました。

先生の言葉の意味のどれほどのものを私が理解できているのかは
わかりませんが、私のこころに刻み込まれた
いくつかの言葉がありました。

そのなかのひとつが上に引用した言葉です。

なかでも
「人間として生きてることの深さ、それがわかるというものである。」

という一文が、時々私の頭の中に浮かび上がってくるようになりました。

私は人間として深く生きているのであろうか?
深く生きるとは?

疑問が持ち上がってきました。



人生というのは、
生きている間にこの目で色を見、この耳で音を聞き
鼻で香り、口で味わい、それをどのように身体で感じるかということが、
基本であるならば、

私は
この5感を通して感じるこの世界を先ず、じっくり味わう。

その味わい方が深く味わうということに転じて、
「生きてることの深さ」に繋がるのではないかなという
仮説をもつことにしました。

これからはそのことを、頭においていこうと思いました。

d0218056_6572093.jpg

「信」原田正憲
by hamaremix | 2014-09-04 06:59 | 哲学 | Comments(2)
d0218056_2131016.jpg

アトリエの前庭の紫陽花が開花しました072.gif072.gif072.gif

母が育てたものですが、そのまま引き受けて
頑張って育ててます。

ちょっと変わった種です。

星のような、金平糖のような、また花火のような花が
楕円形を描いて咲きます。

何か宇宙的なものをこの花から感じています。


紫陽花はその品種が3000からあるらしいです。
なので、この紫陽花の品種名がずっと分らないでいたのですが、
今日facebookにあげてみたら、
ある人が これは

ダンスパーティーという名の品種だと教えてくれました。

意外なネーミングだけど、
私的にはそれはそれで素敵だと思うので、
嬉しい発見でした。



ダンスパーティー☆☆☆☆☆




今日の朝はトニー・スコットのことを取り上げて
境地について書きましたが、

私たちは年を重ねるごとに
どのようになればいいのか?
ということを考えるのが、近年の私の裏テーマみたいなってます。

表のテーマは、どのような作品を描いて行くかという
ことで、こちらに関しては、私が成すべきことは割合はっきり見えています。
迷いはないです。

でも、裏テーマの「どのような人間になるべきか?」
つまりどんな境地を目指すのか、といことについては
まだよく分っていません。


この歳になってオイオイって感じですが、

そうゆうことを書いたエッセイや啓発本などもあるのでしょうが、
そんな知識として知るということよりも、
私自身の経験のなかから、
こうだという、閃きの回答が出てこないことには、
納得できない感じがしています。

それがまだないので、
今は自分が欠点だと思うことを
直すようにはこころがけているのですが、
それが、先ずなかなか難しいですね。

何か、時々やる失敗は
やはり同じ根からくるものだと感じるからです。



日々、修行ですね。


頑張ろう!
by hamaremix | 2014-05-31 21:55 | 哲学 | Comments(3)