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浜本隆司ブログ オーロラ・ドライブ

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浜本隆司のブログ

カテゴリ:日本の美( 127 )

これ一巻だけで一週間いくらですか?

「◯○◯円です。」

「あじゃ〜、それで?」

「あ、お客様、シルバー割引がございます。一巻△△△円です。」

「えっ、え〜〜、そうなんですか、、、
じゃ〜シリーズの下巻も借ります。」


というようなやりとりがありまして、、、

うれしい、というより、私の年齢がシルバーと言われる年齢なんだとリアルに

始めて実感させられました。



だはっ〜〜〜





ということで、映画版「ちはやふる」上下を借りて一気に見ました。



この映画を見るために、ここ一ヶ月くらい前から
「小倉百人一首」を読み返していました。


その甲斐あって、
映画の肝心な肝が理解できてよかったです。

映画でとりあげられる和歌は3〜4首くらいだったのですが、


基本は感動青春映画だったので、

久しぶりに。若い、さわやかな気持ちになれました。



うむ、元気にもなれます。仲間っていいなぁ〜〜〜って。




シルバーでも楽しめましたよ。


主人公達の袴姿の瑞々しいこと!!




by hamaremix | 2017-04-17 18:56 | 日本の美 | Comments(0)
桜の開花が進んできました。
いよいよ今週末が見どころでしょうか。

でもでも、お天気が下り坂のようで、、、
どうしましょう、、、、、



今日は午前中テレビを見ていました。

秀吉が行った「醍醐の花見」の検証番組です。

この番組は「醍醐の花見」に秀吉が並々ならない、努力のもと準備して

沢山のお客さんを喜ばせた「おもてなしの一大イベント」であったということを知りました。


1593年4月中旬のある一日、秀吉63歳。


その一日を絵で紹介していましたが、これがまたよく出来たCGでして、、、、
思わずカメラで撮ってしまいました。

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秀吉の妻、北政所、1500人の人を引き連れての花見でしたが、

そのすべてが女性で、しかもこの日のために、

その1500人にひとり3着の着物を彼が新調してやったということです。


また、桜も山城、河内、大和、近江の国から700本をこの日のために、

持ってきて植えさせたらしいです。



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何千本の満開の桜のなかを、それこそ艶やかな着物を着た女性が、さらに花を添えたようです。



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もちろん、秀吉の子、秀頼もつれて、
彼を楽しませようと様々な趣向をこらしたようです。


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その日の光景を見て何を思うか、秀吉。


その先にある、豊臣家の滅亡を知る我々には、

儚きも豪華なこの世の夢物語だったように思えますね。




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さてさて、我々庶民はどのように記憶に残る花見をしましょうかね。
by hamaremix | 2017-04-06 10:19 | 日本の美 | Comments(0)
「日本絵画の星」のシリーズが浮世絵の時代の絵師になってきたので、
ちょっとブレイクとして、
江戸期木版画の歴史を少しおさらいしておきましょう。


1673〜81年(延宝年間頃)に菱川師宣が木版画で墨一色で摺ったのが「墨摺絵(すみずりえ)」です。

墨色一色ですね。

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墨摺絵・奥村政信「浮世花見車」



次に1688~1716年(元禄〜正徳年間)頃に制作されたのが、
丹という朱色の絵具を主に用いて墨摺絵に彩色したのが「丹絵(たんえ)」です。つまり墨一色の版画に手で色をつけた(手彩色)のが、「丹絵」ですね。

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丹絵・奥村政信「鼠の相撲」




1716~41年(享保〜元文年間)頃には
丹の代わりに、植物性の紅を用いた「紅絵(べにえ)」が登場します。
ここでも手で紅色を彩色しました。

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二代目鳥居清信
「初代沢村宗十郎の鎌足と二代目三条勘太郎の木辻の若紫」




そして、いちいち手で彩色する手間を省くため、色も版木を用いて
摺ることが試みられるようになります。
墨摺絵に紅や草色など色版を2〜4色程度摺重ねたのが、
「紅摺絵(べにずりえ)」です。
1744~64年(延享〜宝歴)頃。

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石川豊信「瀬川吉次の石橋」

一気に鮮やかな印象を獲得ました。



そして1765年(明和2年)に鈴木春信によって
10色以上の色で画面をフルカラーにすることが可能になりました。
この多色摺木版画は錦の織物ように色鮮やかだったので「錦絵」と称され、
その後に、技術は急速に普及していきました。


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鈴木春信「浮世美人寄花 南の方 松坂屋内野風」





でした!!




記事は「ようこそ浮世絵の世界へ」(英訳付き)東京美術 参照・引用
by hamaremix | 2017-03-27 23:44 | 日本の美 | Comments(2)
歌川芳員「勧進大角力取組図」  多色木版  〈絵カレンダー9〉
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大相撲大阪場所。

一昨日、たまたまみたNHKの大相撲中継。

稀勢の里が負けて、土俵下に落ちました。。

あ〜〜、負けたんだ、、、


でも、落ちた時に左肩と左胸を強く打ったみたいで、
稀勢の里の顔が苦痛にゆがんでいました。

見ているこちらが、痛いような、

これは骨が折れているか、肩がはずれたに違いない、、、、



そのまま救急車で病院に運ばれました、、、、

というところまで気になって見てしまいました。


そのあとのニュースで、容態はどうなのか?怪我は骨折?
明日は出れないだろうな〜〜〜〜、、、



と思った翌日。


出場すると知りました。

でも、戦術からか、怪我の内容は公表されませんでした。



しかし、エライですよね〜、力士の方は大概、怪我のあとは休みますが、、

稀勢の里は休みませんでした。


そして試合。

身体から相手の力士に当れない様子で、
あちゃ〜、痛痛しい。
しかも左肩、機能してないんでは????

と思ってると、

あっさり負けましたね〜〜〜〜。
残念でしたが、、、、

無理おして、日本人横綱としての責任感から、
出ているんだろうな〜、

でも、あれでは、明日は出ても
勝てないし、休場して肩を治した方が良いって、、

日本中が思った筈です。




しかし、千秋楽にまた出てきました。


えらいな〜とは思うものの、決して勝負に勝つとは
誰も思わなかった筈です。


それが、それが、、、


照ノ富士に2回も勝って、優勝しました。


国歌斉唱では、こちらもほんと涙が出そうでした。。。




大相撲で久しぶりに感動しました。

慣用句ではなく、本当に感動しました。



ぎりぎりまでして戦っている人の姿に感動しない筈はないですね。




あ〜〜〜、見ていてよかったです。








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by hamaremix | 2017-03-26 20:20 | 日本の美 | Comments(0)
SAVVY 行ける「関西の絶景」完全保存版から、
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砥峰高原(とのみねこうげん)

兵庫県神河町・砥峰高原(とのみねこうげん)です。

関西の絶景の写真を見ていて、
海岸線に山に川に行ってみたい所がたくさんありましたが、

高原こそ一番行ってみたいと私は感じました。


イギリスとかって芝しか草しかはえてない
高原だらけですが、
日本は木々が国土の3/4もあり高温多湿で、
高原みないなところは少ないじゃないですか、、、

近場でもゴルフ場くらいしか思い浮かびません。

なので、自然の高原を見てみたいと思うのですかね。


有名なここも行ったことはありません。

奈良県曽爾村 曽爾高原(そにこうげん)

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曽爾高原


うわぁ〜〜っ、日本じゃないみたいです。



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by hamaremix | 2017-02-07 08:45 | 日本の美 | Comments(0)
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1970年、大阪万博での古河パビリオンですが、、、

私の「EXPO70/Remix2016」でも取り上げて画面に描きました。

しかし、知りませんでした。

あの古河パビリオンの七重の塔は、

かつて(奈良時代)に東大寺にあった七重の塔

再現だったってことを、、、、


描く前に知っていれば、絵は少し変わったか?

いや、そんなには変わってないでしょうけれど、

私のモチベーションがさらに高まっていたことは確かです。笑



そのことは、

昨日の「歴史秘話ヒストリア」を見ていて気づいたのでした!!



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東大寺の本堂の南東と南西には創建時に建てられた

2つの七重の塔が立っていたのです。

しかもその高さは100メートルだったという

現存する最高の京都東寺の五重塔よりさらに高かったそうです。


1970年の万博の古河パビリオンの再建でさえ86メートルだそうで、

あれより高かい

100メーターとは異様に高かったはずですが、

大仏殿とのバランスを考えるとその大きさが必要だったのでしょう!






番組は奈良時代に100メーターの塔を建てる技術があったのか?

疑問視されていることを紹介していましたが、

元興寺にある当時作られた五重の塔の模型のかたちから考察して

それは可能であったと結論づけられていました。


すごいですね〜〜〜。


さらに東大寺では

その七重の塔の再建を本気で考えられているとかで、

わぁ〜〜、歴史ロマンこころが膨らみまする〜〜〜。





奈良の風景がまた輝きを放つようになるでしょうね〜〜。





東大寺七重の塔は平家の南都焼き討ちの際に燃えたのですが、

1度再建されましたが、落雷にやられてしまったそうです。





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by hamaremix | 2017-01-04 10:34 | 日本の美 | Comments(0)
今年、私が気になった話題に「ハロウィンの仮装の盛り上がり」がありました。

佐々木君とそのことを話していると、
佐々木君は「あんなの日本の昔からあることで、江戸時代、
京都では『おばけ』というのがあって、
節分などにみんなで仮装して歩くようなことがあったのよ。」

と教えてくれました。
「おばけ」という言葉が印象的で「化ける」からきてるんだろうな、とは
想像がつきましたが、実際にはどんなのであろうか?

しばらく気になっていました。


すると
中之島図書館で講演会
「近世都市祭礼のねりもの」(おどるばけるつどう)
というのがあると知り、聞きにいくことにしたのでした。

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それにしても、こうゆう話、いったいどうゆう関係の方が来られるのか

そこも興味津々。

会場には50人ばかし、高齢の方が多くいました。



祭や民俗学の研究されてる方々なのか、はたまた神社やお寺の方なのか、

まっ、そこはわかりませんでした、、、



講演者は頴川美術館学芸員 八反裕太郎先生 でした。

頴川美術館って、知りませんでしたが、
西宮市甲東園にある公益財団法人の美術館です。
そういえば近くを歩いたときあったような。


講演の内容のメインは「ねりもの」でした。

京都、大阪、江戸では祭の時に人々(町人らや芸妓さん)が
祭の観客の前をねり歩いたことを話してくださりました。

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芸妓さんの「ねりあるき」順番図


お話は
難しいところもあったのですが、

一言でいうと

「日本人は昔から、仮装行列が好きだった」

ということです。笑



祭に関係なく、1939年の春

京都で突然人々が仮装してねり歩いたというような出来事さえもあったとか、、、



京や大阪では昭和30年代初期まで、
ねりものはあったそうです。






聞いていて思ったことは、

よく御堂筋パレードとか神戸祭でパレードがありますが、、

なんか欧米的で興味が持てないんですが、

あれを「ねりもの」「ねり歩き」の現代版だと思うと、

人々が仮装してパレードすることに熱中する人が居ることに納得がいきました。


パレードとかいうから、借り物っぽいけど、

「大阪ねり歩き」「神戸ねりもの」とかいうと、、、、

う〜〜〜〜ん、ぱっとしないかぁ〜〜〜



しかし、京都では、数年前から

節分の「おばけ(仮装)」が復活の兆しがあって、

ちょっと盛り上がってきているらしいです。




私も仮装は嫌いではないので、、、

大阪、神戸でも

なんか日本的におさまりのいいイベント(祭・興行)が考えられればいいなぁ。
by hamaremix | 2016-12-26 09:16 | 日本の美 | Comments(3)
「究極に変な絵ー群仙図屏風/曾我蕭白」

蝦蟇仙人の続きです。


江戸後期〜明治初期の奇想の画家河鍋暁斎もこの蝦蟇仙人を描いています。
それを見てみましょう。

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ぜんぜん、人間のお顔でいらっしゃいます。



蕭白の絵の蝦蟇仙人の上には、
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穿山甲(せんざんこう)というアジア、アフリカに棲息する
哺乳類が描かれています。

からだの松かさのようなウロコが特徴ですが、
このウロコが媚薬や魔除けに用いられるという、
縁起ものなのです。




桃を狙っています。







そして最後に


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まま、美女。

西王母(せいおうぼ、さいおうぼ)

西王母は中国で古くから信仰された女神で

すべての女仙たちを統率する聖母。

また西方の崑崙山上に住する女性の尊称ともされます。


東王父に対応する。







さて以上曾我蕭白の「群仙図屏風」に描かれているものを見てきましたが、

描かれている仙人たちは当時の教養としてどれだけのものかは分りませんが、


へべれけな、怪しいものも描いたものではないということはよく分りました。


しかし、描かれた仙人たちは、

当時の人からみても、尋常ならざる変な顔姿と写ったはずです。

尊敬されるべき伝説の仙人たちは、

やはり尊敬の気持ちで描かれているべきものだったはずが、、

曾我蕭白の描く仙人像には、それを感じることはできません。



「なぜ、仙人たちをこのような姿で描いたのか、、、」

そこを考えることが、

それぞれの人の、曾我蕭白像として浮かび上がってくるものだと思いますが、

私は、神格化されてたもの、権威を感じるものを

否定したかったのではないかと考えました。


そうゆう意味でとっても、過激であるし、
現代的な平等思想に繋がるものではかいかと思いました。


「仙人?、所詮、人間ではないのか!」



という声が絵から聞こえてきました。



by hamaremix | 2016-12-19 10:59 | 日本の美 | Comments(2)
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「達磨図」曾我蕭白

いよいよ曾我蕭白(そがしょうはく)の登場です。

日本美術史上、こんなに奇っ怪というか自覚的な狂気を感じる絵師はいません。
蕭白を愛する研究者の方でさえ、
「奇想の画家」「無頼の画家」「鬼っ子」などと紹介しておられます。
曾我蕭白を見てしまうと若冲でさえ、調和の美しい、日本美の顕在を感じるほどです。


今日はその曽我蕭白の代表作を見て、
いったいこれは「何をどう考えて描いたらこうなるのか?」ということを
私なりに絵から考えてみたいと思います。



その代表作とは「群仙図屏風」です。


究極の絵画27(究極の変)
曾我蕭白 群仙図屏風


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群仙図屏風(上・右隻/下・左隻)

知っていますか、このけったいな絵?笑


全く初めて見る方は、かなりの違和感を感じているはずです。
あまり見たくない、アブナイ空気を感じたはずです。
これが日本人がしかも江戸中期にこんなものを描いたのか?と

この絵を部屋に屏風として飾りますかね〜〜〜。そう素朴な疑問です。


この感覚は日本人の感覚とは思えないですよね。
これが曾我蕭白なんです。



では、
ここからは、この絵が何を描いているのかを具体的に見ていきましょう。

まずこの絵はもとは大名の京極家に伝わったと言われていて、
若君の誕生を祝った絵だと推定されています。

描かれている人物は仙人たちで、
仙人は当時、不老長寿を表すものとして描かれました。
その仙人達の間には、鶴、鯉、唐子、ガマガエルなどの
長生や多産、富貴のシンボルが描き込まれています。

なのでその内容から、この絵は「吉祥画」に違いないと思われています。

なのになのに、この仙人達って、、、です、、、、、




ではでは、
右隻の画面右から描かれているものを見ていきましょう。

先ずはこの人

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董奉(とうほう)という人物

なんですか、ウナギを口にくわえたように見える髭。
そして、強風で髪の毛が右にたなびいています。
そしてこのボロ服。

瓢箪と巻物を持っていますが、
この人、中国三国時代の呉のお医者さんなのです。

董奉(とうほう)は病を治しますが、
銭は取りません。重い病人は5株、軽い病人は1株、治療費の代わりに杏の木を植えさせました。
そして育った杏の林をトラに見張らせたと言われました。
杏を盗む者は虎に噛み殺されます。
盗人の家族が董奉に詫びをいれると、董奉は盗人を生き返らせます。
余った杏は売り払い、穀物に換え、貧しい人や旅人に与えたという聖人でもあるのです。

画面左下に虎の顔が見えますが、
左にいる鳳凰とにらみ合っています。




次に右隻のなかので特に目立つように赤い服を着せた人物がいます。

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簫史(しょうし)といいます。
簫史は春秋時代の簫(しょう/竹で作った笛のようなもの)吹きの名人なのです。

お姫様と結婚して、二人で簫を奏でつつ、舞い降りてきた鳳凰に飛び乗ったという
ロマンティックな逸話の持ち主。

赤い服でこの赤い顔、、、、

そして白い鳳凰。

赤と白の強いコントラストに眼が釘ずけにになります。


彼は最初の董奉と違って服装は大変優雅です。

が、酔っぱらったような赤い顔そしてその目つき、、、、



典型的な簫史(しょうし)の絵を参考に見てみましょう。
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一般的な簫史像

うむ、まっとうです。




さて次の仙人、、
またしてもボロ服、、、

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鉄拐仙人(てっかいせんにん)と言います。

道教の代表的な8人の仙人=八仙人のひとり。

口から気を吐いて分身を出す術を使います。

足が悪いため、鉄製の杖を持っていますが、元気満々。



顔は横を向いていますが、ギリギリ人間に見えるって顔。

ここでは、服の表現に注目して下さい。

風が左から右を強く吹いている様子なのですが、
この服だけ観念的に描いています。

なんですかこの海辺の風に浸食された岩場のような表現の仕方は、、、、

先の簫史の服の描き方とほとんど共通性がないです。
画面が乱れたデジタルテレビのようです。


まぁ、こんな風に服を表現した人は、後にも先にも蕭白ひとりだけじゃないですか。






次は右隻の一番左の仙人。
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呂洞賓(りょどうひん)と言います。

彼も中国の八仙人のひとりで、中国の唐の時代の実在の人物です。
科挙の試験を2回受けて落っこちた呂洞賓は、
厭世観にとらわれて道教の行者に弟子入りしようとします。

師はかれに十個の試練を課します。
家族が死んだ幻想を見せられたり、
ひどい泥棒に遭ったり、虎に襲われたり、
はたまた美女に誘惑されたり、鬼神にからめとられたりしますが、

は一向に動じません。
これを見て、師はかれの弟子入りを許し、
必ずや仙人になれるだろうと言いました。

その後、呂洞賓は400年間、生きたと言われます。

そんな聖人な仙人が龍に乗っていますが、
この顔ではありがたみがないですね〜〜〜〜〜。


しかし、龍とその背景は劇画的なドラマ性を感じさせます。
さきの強風はここからきてます。



この道教の仙人は、その後、禅宗の師としても尊崇されていたようです。

画僧・雪村もこの呂洞賓を描いていますので、見比べてみましょう。

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まぁー、雪村の表現もたいがいですが、、、、、






では、ここからは左隻に描かれているものを見てみましょう。

子供達に囲まれて袖をひっぱられ、肩から胸があらわになって、
不気味な笑顔を見せる仙人。

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林和靖(りんなせい)または林逋(りんぽ)

林和靖は、北宋の詩人、浙江省杭州の人。

若くして父を失い、刻苦して独学する。
恬淡な性格で衣食の不足もいっこうに気にとめず、
西湖の孤山に庵に棲み、杭州の街に足を踏み入れぬこと20年におよんだ。

妻子をもたず、庭に梅を植え鶴を飼い、

「梅が妻、鶴が子」といって笑っていた。www

庵で鶴と梅とを愛して一生を隠遁して暮らしたという仙人。


西湖の風景や梅を詠んだ詩が多く、平静淡泊な詩風で、恬淡とした人生を愛した。
 

理想の文人として多くの絵師によってその姿が描かれています。


確かに曾我蕭白によって描かれた林和靖は社会性=を感じさせませんがね。笑
尊敬されるような人格の持ち主のようには、私には見えません。



ちなみに普通の林和靖のイメージはこうゆうものです。

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何となく「豊か」ですよね。



この林和靖に、「遊んで、遊んで」と絡んでくる子供達。
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唐子(からこ)たち。

子供なのに、、、、

かわいくないです、、、、

江戸中期の人には、ほほ笑ましく見えたりしたのだろうか?

は〜〜い、変顔で、パチり。






さて、次なる仙人は

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左慈
左慈は、中国後漢時代末期の神仙。
変化隠術の術など様々な仙術を使ったとされる。

左慈はかつて司空であった曹操の宴席に招かれ、
曹操がふと「江東の松江の鱸があればなあ」と呟いた時、
水をはった銅盤に糸を垂らして鱸を釣り上げてみせた。
(蕭白はそこを描いています)

また曹操が従者百人程を連れて近くまで出かけた折り、
左慈は酒一升と干し肉一斤を携えてそれを配った。
従者たちは皆酩酊し、満腹した。
曹操が不思議に思って調べさせると、
酒蔵から酒と干し肉がすっかり無くなっているとの事。
このため、曹操が腹を立てて左慈の逮捕を命じれば、
左慈は壁の中に消えていった。

また、市場でその姿を見たという者があったので追及させると、
市場にいる人々が皆左慈と同じ姿であったという。

仙人というのは、妖術使いでもあるのですね。


左慈の顔に比べ、
鯉や鶴は極めてまっとうな顔で描かれています。





さてさて、次は極め付きの奇相、醜顔。
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その名も蝦蟇仙人(がませんにん)

蝦蟇をせたろうております。

蝦蟇の顔の方がまだかわいいです。
どす黒い顔に赤い口紅(塗ってるでしょう〜、あなた)


また待女?に耳を掻かせています。

むむむ、

また、、この関係の怪しさ、、、、

それでも、
左慈や呂洞賓に仙術を授けられたという仙人。

おかっぱ頭がトレードマークらしいです。元公務員、、、、


鉄拐仙人と対の形で描かれる事が多い。
この「群仙図屏風」でも左と右の隻に描き分けられています。

中国ではマイナーな仙人である一方、
日本において蝦蟇仙人は仙人の中でも特に人気があり、
絵画、装飾品、歌舞伎・浄瑠璃など様々な形で多くの人々に描かれているそうです。






by hamaremix | 2016-12-17 21:23 | 日本の美 | Comments(2)
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コラージュ244 「オレンジ・ウォーリアーズ」

おはようございます。

雨、やですね。

さっきまで朝日が少し部屋に入り込んでいましたが、
今は完全に雲ってしまいました、、、、


遠くから「ゆうきやこんこん、あられやこんこん、ふってもふっても〜」
の歌声が聴こえてきますが、、

雪にはならない予想です。


天気予報はよくあたりますから。

でも、雪なんか予報で降るとわかっていたら、
実際に雪を見た時の感動が少ないですよね。


やはり、「あら、雪が、、、」

って思ってもなかった天からの贈り物的に感じたいなぁ〜。

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コラージュ245 「I' a Man」


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コラージュ246 「BERONICA」


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コラージュ247 「FE」


「日本人はいつ日本が好きになったのか」竹田恒泰
「日本はなぜ世界で一番人気があるのか」竹田恒泰

の2冊を一気に読んでみました。

日本が戦後からつい最近まで、自分の国日本に
誇りが持てずにいたことの原因と
なぜ今、日本がこんなにも世界から人気があって、
日本人もやっと日本が好きと言えるようになったか
の要因を本当に分かりやすく書いてありました。

これは若い人には是非読んでもらいたい2冊だと思いました。

確かに私たち世代が、振り返ってみても、
日本人は欧米の文化のモノマネが上手いだけの国だと、見下げられていました。
首からカメラをさげて、頭を七三に分けてたメガネの黄色人種が欧米で爆買いするのが、
日本人の典型として笑われてました。

そして、GDPがアメリカを抜いて世界一になった時にも、
世界外交では何も出来ない国が、経済だけ突出したことにも
エコノミー・モンスターとして偏見の目で見られたのではないでようか?


しかし、その頃は日本人自体も日本文化が優れているとは思っていても、
世界には理解できないもの、世界には通用しないものと思っていました。

ですが、竹田氏も語っていますが、
東北大震災をきっかけに日本も世界も日本人への考え方が変わったのではないかと言います。

東北大震災の前はITのベンチャーでもうけた人らがやたら持ち上げられたり、
現代アートにおいても、漫画をパクったようなあほみたいな表現が
もてはやされてりしていました。

はは、横道にそれましたね、、、、


竹田氏は東北大震災と韓国・中国の領土侵犯が、
日本人の意識を大きく変えたと語っています。
またクール・ジャパンといわれた日本初のサブカルチャーが
徐々に世界に発信され、
日本理解のきっかけになっていると書いています。もっともです。

そして、ネットの広がりによって、
日本の文化が広く知られ、興味をもたれ、日本の文化と歴史から
これからの世界の未来に有効なものがあると
思われるようになりました。

それに日本人自身ももう、世界から学ぶものが無くなって
日本から学ぶというように自分を振り返るようになりました。




竹田氏の本を読んでいて、一番いいのは
「日本人に生まれて良かった」って本当に思えることですね。

そして「日本人として、すずやかに生きていかねば」って思えます。








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by hamaremix | 2016-12-14 10:12 | 日本の美 | Comments(0)