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浜本隆司ブログ オーロラ・ドライブ

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浜本隆司のブログ

カテゴリ:日本の美( 131 )


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Pinterest hamaremix 「新日本」より

愛媛県伊予市の下灘という駅だそうです。

ココ、イッテミタイナー。

四国の海岸線の道の東側、高知から〜室戸岬〜徳島〜鳴門、
それと北側の鳴門〜高松〜丸亀〜観音寺〜今治〜愛媛
のルートは制覇しているんですが、

愛媛から〜宇和島〜足摺岬〜高知のルートはまだ未知の道なので、、、、




電車のある風景はいいですよね。
ノリテツでもトリテツでもないんですが、
男の子は電車が好きなんです、遺伝子的に!!!笑




阪堺線の阿倍野付近からハルカスを眺める光景。

ここは先日行ってきました。
夜はこうなるんですね〜〜。



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Pinterest hamaremix 「新日本」より




今日も猛暑日だそう、、、


頑張り過ぎず、頑張っていきましょう。







by hamaremix | 2017-07-15 08:21 | 日本の美 | Comments(0)
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コラージュ306

人はどう行動すれば美しいか、ということを考えるのが江戸の武士動倫理
であろう。
人はどう思考し行動すれば公益のためになるかということを考えるのが
江戸期の儒教である。
この二つが、幕末人をつくりだしている。

幕末期に完成した武士という人間像は、日本人がうみだした、
多少奇形であるにしてもその結晶のみごとさにおいて人間の芸術品とまで
いえるように思える。
しかしこの種の人間は、個人的物欲を肯定する戦国期や、
あるいは西洋にはうまれなかった。

サムライという日本語が幕末期からいまなお世界語でありつづけているというのは、
かれらが両刀を帯びてチャンバラをするのではなく、
類型のない美的人間ということで
世界がめずらしがったのであろう。

「司馬遼太郎が考えたこと 3」から メモ



「人はどう行動すれば美しいか、
人はどう思考し行動すれば公益のためになるか」

ここが日本人としてのこれからの肝でもあると思いました。




by hamaremix | 2017-06-25 23:43 | 日本の美 | Comments(0)
日本人のお弁当は
凝ってますね〜。

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Pinterest「お気に入り」より

卵焼きにウィンナー、そしてチーズ?

凝り過ぎですが、

普通とも言えますね。
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Pinterest「お気に入り」より


ここまでやっちゃうのが日本人ですね。

wwww



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Pinterest「お気に入り」より





うひょ〜〜〜、、、、

こいつはいけねぇ〜よ

お澪坊!!!





こうゆう可愛さって日本人でしか

うみだせないです。



可愛さの追求です。





可愛くないものには冷徹です。笑








by hamaremix | 2017-06-24 19:47 | 日本の美 | Comments(0)
今日の日曜日は一週間前の天気予報では雨予想で、

ずっと諦めていたのですが、数日前から雨は降らないような予想に変わってきて、

昨日辺りの予想ではほぼ雨は降らないとなっていました。


結果今日の朝では摂津辺りの降水確率は30%となり、

スケッチに行けることになりました。


しかも今日はここ数日は夏のような熱さもなく、

曇り空の涼しい一日となり、絶好のスケッチ日和となりました!!!


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多田神社に向う赤い欄干のある橋

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橋を渡りきると、印象的な石階段を昇ります。


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多田神社境内


多田神社のある同地は清和源氏武士団発祥の地です。
清和源氏とは第56代清和天皇の皇子・諸王を祖とした氏族のことです。

現在の多田の地域の高台には清和台という名が使われていてます。
原田先生のご自宅もそこにありました。



そして多田神社は
この地に居城を構えた源満仲によって970年に寺院として当初は建立されたのがはじまりです。
以後、源頼光、源頼信、源頼義、源頼家らを祀っています。
清和源氏をお祀りする多田神社は、
武家の総本山のようなところなのですしょう。

足利氏、徳川氏にも源氏霊廟として認められているそうです。


そうゆうことからも
境内はきりっとした緊張感がありました。ほんとうです。




境内ではスケッチは出来ませんので、
門前でのスケッチとなります。

が、いろいろ見どころの多い多田神社
皆さん、それぞれのスケッチポイントを見つけての制作となりました。


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摂社が奥にある白い土塀

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西門


今日はとても集中して描けたこともあって、
皆さんの成長を眼に見えて感じられました。
その意味でも
とてもいいスケッチの一日となりました。




その後
近くの猪名川町にある大きな古民家
重要文化財の「静思館」にも
足を運んで見てきました。

とても良かったですよ〜〜〜。


是非スケッチの予定に入れたいと思いました。

詳しくはまたね。






またね〜〜。
by hamaremix | 2017-06-11 21:03 | 日本の美 | Comments(0)
これ一巻だけで一週間いくらですか?

「◯○◯円です。」

「あじゃ〜、それで?」

「あ、お客様、シルバー割引がございます。一巻△△△円です。」

「えっ、え〜〜、そうなんですか、、、
じゃ〜シリーズの下巻も借ります。」


というようなやりとりがありまして、、、

うれしい、というより、私の年齢がシルバーと言われる年齢なんだとリアルに

始めて実感させられました。



だはっ〜〜〜





ということで、映画版「ちはやふる」上下を借りて一気に見ました。



この映画を見るために、ここ一ヶ月くらい前から
「小倉百人一首」を読み返していました。


その甲斐あって、
映画の肝心な肝が理解できてよかったです。

映画でとりあげられる和歌は3〜4首くらいだったのですが、


基本は感動青春映画だったので、

久しぶりに。若い、さわやかな気持ちになれました。



うむ、元気にもなれます。仲間っていいなぁ〜〜〜って。




シルバーでも楽しめましたよ。


主人公達の袴姿の瑞々しいこと!!




by hamaremix | 2017-04-17 18:56 | 日本の美 | Comments(0)
桜の開花が進んできました。
いよいよ今週末が見どころでしょうか。

でもでも、お天気が下り坂のようで、、、
どうしましょう、、、、、



今日は午前中テレビを見ていました。

秀吉が行った「醍醐の花見」の検証番組です。

この番組は「醍醐の花見」に秀吉が並々ならない、努力のもと準備して

沢山のお客さんを喜ばせた「おもてなしの一大イベント」であったということを知りました。


1593年4月中旬のある一日、秀吉63歳。


その一日を絵で紹介していましたが、これがまたよく出来たCGでして、、、、
思わずカメラで撮ってしまいました。

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秀吉の妻、北政所、1500人の人を引き連れての花見でしたが、

そのすべてが女性で、しかもこの日のために、

その1500人にひとり3着の着物を彼が新調してやったということです。


また、桜も山城、河内、大和、近江の国から700本をこの日のために、

持ってきて植えさせたらしいです。



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何千本の満開の桜のなかを、それこそ艶やかな着物を着た女性が、さらに花を添えたようです。



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もちろん、秀吉の子、秀頼もつれて、
彼を楽しませようと様々な趣向をこらしたようです。


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その日の光景を見て何を思うか、秀吉。


その先にある、豊臣家の滅亡を知る我々には、

儚きも豪華なこの世の夢物語だったように思えますね。




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さてさて、我々庶民はどのように記憶に残る花見をしましょうかね。
by hamaremix | 2017-04-06 10:19 | 日本の美 | Comments(0)
「日本絵画の星」のシリーズが浮世絵の時代の絵師になってきたので、
ちょっとブレイクとして、
江戸期木版画の歴史を少しおさらいしておきましょう。


1673〜81年(延宝年間頃)に菱川師宣が木版画で墨一色で摺ったのが「墨摺絵(すみずりえ)」です。

墨色一色ですね。

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墨摺絵・奥村政信「浮世花見車」



次に1688~1716年(元禄〜正徳年間)頃に制作されたのが、
丹という朱色の絵具を主に用いて墨摺絵に彩色したのが「丹絵(たんえ)」です。つまり墨一色の版画に手で色をつけた(手彩色)のが、「丹絵」ですね。

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丹絵・奥村政信「鼠の相撲」




1716~41年(享保〜元文年間)頃には
丹の代わりに、植物性の紅を用いた「紅絵(べにえ)」が登場します。
ここでも手で紅色を彩色しました。

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二代目鳥居清信
「初代沢村宗十郎の鎌足と二代目三条勘太郎の木辻の若紫」




そして、いちいち手で彩色する手間を省くため、色も版木を用いて
摺ることが試みられるようになります。
墨摺絵に紅や草色など色版を2〜4色程度摺重ねたのが、
「紅摺絵(べにずりえ)」です。
1744~64年(延享〜宝歴)頃。

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石川豊信「瀬川吉次の石橋」

一気に鮮やかな印象を獲得ました。



そして1765年(明和2年)に鈴木春信によって
10色以上の色で画面をフルカラーにすることが可能になりました。
この多色摺木版画は錦の織物ように色鮮やかだったので「錦絵」と称され、
その後に、技術は急速に普及していきました。


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鈴木春信「浮世美人寄花 南の方 松坂屋内野風」





でした!!




記事は「ようこそ浮世絵の世界へ」(英訳付き)東京美術 参照・引用
by hamaremix | 2017-03-27 23:44 | 日本の美 | Comments(2)
歌川芳員「勧進大角力取組図」  多色木版  〈絵カレンダー9〉
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大相撲大阪場所。

一昨日、たまたまみたNHKの大相撲中継。

稀勢の里が負けて、土俵下に落ちました。。

あ〜〜、負けたんだ、、、


でも、落ちた時に左肩と左胸を強く打ったみたいで、
稀勢の里の顔が苦痛にゆがんでいました。

見ているこちらが、痛いような、

これは骨が折れているか、肩がはずれたに違いない、、、、



そのまま救急車で病院に運ばれました、、、、

というところまで気になって見てしまいました。


そのあとのニュースで、容態はどうなのか?怪我は骨折?
明日は出れないだろうな〜〜〜〜、、、



と思った翌日。


出場すると知りました。

でも、戦術からか、怪我の内容は公表されませんでした。



しかし、エライですよね〜、力士の方は大概、怪我のあとは休みますが、、

稀勢の里は休みませんでした。


そして試合。

身体から相手の力士に当れない様子で、
あちゃ〜、痛痛しい。
しかも左肩、機能してないんでは????

と思ってると、

あっさり負けましたね〜〜〜〜。
残念でしたが、、、、

無理おして、日本人横綱としての責任感から、
出ているんだろうな〜、

でも、あれでは、明日は出ても
勝てないし、休場して肩を治した方が良いって、、

日本中が思った筈です。




しかし、千秋楽にまた出てきました。


えらいな〜とは思うものの、決して勝負に勝つとは
誰も思わなかった筈です。


それが、それが、、、


照ノ富士に2回も勝って、優勝しました。


国歌斉唱では、こちらもほんと涙が出そうでした。。。




大相撲で久しぶりに感動しました。

慣用句ではなく、本当に感動しました。



ぎりぎりまでして戦っている人の姿に感動しない筈はないですね。




あ〜〜〜、見ていてよかったです。








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by hamaremix | 2017-03-26 20:20 | 日本の美 | Comments(0)
SAVVY 行ける「関西の絶景」完全保存版から、
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砥峰高原(とのみねこうげん)

兵庫県神河町・砥峰高原(とのみねこうげん)です。

関西の絶景の写真を見ていて、
海岸線に山に川に行ってみたい所がたくさんありましたが、

高原こそ一番行ってみたいと私は感じました。


イギリスとかって芝しか草しかはえてない
高原だらけですが、
日本は木々が国土の3/4もあり高温多湿で、
高原みないなところは少ないじゃないですか、、、

近場でもゴルフ場くらいしか思い浮かびません。

なので、自然の高原を見てみたいと思うのですかね。


有名なここも行ったことはありません。

奈良県曽爾村 曽爾高原(そにこうげん)

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曽爾高原


うわぁ〜〜っ、日本じゃないみたいです。



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by hamaremix | 2017-02-07 08:45 | 日本の美 | Comments(0)
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1970年、大阪万博での古河パビリオンですが、、、

私の「EXPO70/Remix2016」でも取り上げて画面に描きました。

しかし、知りませんでした。

あの古河パビリオンの七重の塔は、

かつて(奈良時代)に東大寺にあった七重の塔

再現だったってことを、、、、


描く前に知っていれば、絵は少し変わったか?

いや、そんなには変わってないでしょうけれど、

私のモチベーションがさらに高まっていたことは確かです。笑



そのことは、

昨日の「歴史秘話ヒストリア」を見ていて気づいたのでした!!



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東大寺の本堂の南東と南西には創建時に建てられた

2つの七重の塔が立っていたのです。

しかもその高さは100メートルだったという

現存する最高の京都東寺の五重塔よりさらに高かったそうです。


1970年の万博の古河パビリオンの再建でさえ86メートルだそうで、

あれより高かい

100メーターとは異様に高かったはずですが、

大仏殿とのバランスを考えるとその大きさが必要だったのでしょう!






番組は奈良時代に100メーターの塔を建てる技術があったのか?

疑問視されていることを紹介していましたが、

元興寺にある当時作られた五重の塔の模型のかたちから考察して

それは可能であったと結論づけられていました。


すごいですね〜〜〜。


さらに東大寺では

その七重の塔の再建を本気で考えられているとかで、

わぁ〜〜、歴史ロマンこころが膨らみまする〜〜〜。





奈良の風景がまた輝きを放つようになるでしょうね〜〜。





東大寺七重の塔は平家の南都焼き討ちの際に燃えたのですが、

1度再建されましたが、落雷にやられてしまったそうです。





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by hamaremix | 2017-01-04 10:34 | 日本の美 | Comments(0)