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浜本隆司ブログ オーロラ・ドライブ

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浜本隆司のブログ

カテゴリ:日本絵画の星( 35 )

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月に雁(つきにかり)

1947年、当時の郵便週間を記念して200万枚は発行された切手。
それほど希少でもない枚数なのに、
後の切手ブーム(私が小学生ん頃)でとても人気が高かった。
「月に雁」


これは歌川広重の画です。

昔は安藤広重といってましたが

安藤は本姓、広重は号であり、両者を組み合わせて呼ぶのは不適切で、

広重自身もそう名乗ったことはないということで、

現在では歌川広重で定着しています。



日本絵画の星 35

歌川広重(安藤広重)

1797-1858/江戸後期


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広重といえば

「東海道五拾三次」1983年です。


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東海道五拾三次「箱根」

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東海道五拾三次「蒲原」

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東海道五拾三次「日本橋朝之景」


これです。

これらの映像(あえて映像といいます)は
日本人のDNAに記憶され、
現在の私たちのこころの奥の中にしっかりしまい込まれている
映像と言えるでしょう。


よく比較される北斎との違いですが、
北斎は構図の革新性を追求しましたが、
広重は情緒性を最も重んじていたように思います。

もちろん広重も素晴らしい革新的な構図を沢山生み出したいます。

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江戸百景「大はしあたけの夕立」

水平線が傾いていてますが、
夕立の激しい大雨に慌てている人々の気持ちを表してるようです。


ゴッホがこの絵を油絵で模写しています。

斬新な構図にびっくりしたんでしょうね。



そういえばモネの有名な太鼓橋の睡蓮も
広重の絵からの影響が評されています。

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もうひとつゴッホが模写したやつがこれ。

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「亀戸梅屋敷」

まぁ、西洋画では絶対に生まれない構図ですね。
これなんか江戸初期の尾形光琳からの
デザイン性(平面性)が受け継がれていると思います。



葛飾北斎は突き抜けた心地よい構図の絵が多いですが、
広重にも晴れ晴れとして突き抜け感のある絵も多いんです。

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江戸百景「水道橋駿河台」

画面ど真ん中に一番近いものを持ってくる風景画
大胆でありえないというか、思いつかない。

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江戸百景「深川洲崎十万坪」


これも一番上に鳥を持ってきた、
ドローン目線!!!

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江戸百景「市中繁栄七夕祭」


人の姿を描かずして、庶民が七夕祭で
こころ浮かれているのが伝わってきます。



花火のドローン目線の絵もありますよ。

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江戸百景「両国花火」



人に賑わい、夜の闇、花火のはでやかさ
不可能に近い三つの要素を
斬新な色と構図で表現できています。
もう、
本当に素晴らしいです〜〜。



この時代の絵師の遠近法はちょっと怪しいんですが、
広重はしっかり獲得しています。

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「東都名所吉原仲之町夜桜」


完璧な二点透視図法です!


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五十三次名所図絵「鞠子」


一点透視図法。




最後にあまり紹介されない「東海道五拾三次」のなかの絵から、

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東海道五十三次「小田原」




遠くまでクリアな視界。

現在でも連休後半や台風の後には
遠くまでクリアな視界がひらけますが、
明治以前は
日本はとってもクリアな視界がひらけていたんだろうなと思わせてくれました。





リタ〜〜ン・ザ・クリア・スカイ





































by hamaremix | 2017-10-12 10:18 | 日本絵画の星 | Comments(0)

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葛飾北斎自画像1839

日本絵画の星 34 

葛飾北斎 1760-1849 (江戸後期)


1999アメリカ合衆国の雑誌である『ライフ』の企画

この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100」で、

日本人として唯一86位にランクインしたのが葛飾北斎。


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あの「グレイト・ウェイブ」は世界に知られる名画。

西洋人の画家にもフォロワーが多い、

ピンクフロイドのドラムセットのバスドラにもデザイン引用されたくらい有名。

日本人で知らない人はいない。


大英博物館で今年2度目の北斎展が行われ、

(日本人画家としては同博物館での開催は北斎のみ。)

その提携展覧会がハルカスで10月から行われます。



本当に、何度見ても、新鮮な感動を与えてくれる

日本人のDNAに組み込まれた

素晴らしい映像・画像・絵画

で、


今さら、北斎について何が言えよう、、、

と思ってしまいます、、、



森羅万象を描き、生涯に3万点を超える作品を発表した。

若い時から意欲的であり、版画のほか、肉筆浮世絵にも傑出していた。

しかし、北斎の絵師としての地位は「富嶽三十六景」の発表により、

不動のものとなっただけでなく、風景画にも新生面を開いた。


その北斎の名を世間に知らしめた「富嶽三十六景

は北斎73歳の年齢で描き上げたもの。



素晴らしい若さと革新性ではないですか。


しかし、北斎自身はどれだけ描いても、画歴を重ねても

自分は「猫一匹満足に描けないと」嘆いていたど、

自身の画力に満足していなかったそうで、

そのことが、

この年になっての名作富嶽三十六景」が描けた一因だと思います。


 90歳になって臨終をむかえた時


「死を目前にした(北斎)翁は大きく息をして『天があと10年の間、

命長らえることを私に許されたなら』と言い、

しばらくしてさらに、

『天があと5年の間、命保つことを私に許されたなら、

必ずやまさに本物といえる画工になり得たであろう』

と言いどもって死んだ」


と当時の書かれた北斎伝にあります。



絵を描くこと以外の、日常生活には全く無頓着だったようで、

料理も掃除も後片付けなど全くしなかったようで、

家がちらかってどうしようもなったら

そのままにして引っ越しをしたようです。笑



その生涯の引っ越し回数は93歳


飽き性だったのでしょう、、

葛飾北斎の言う名は、しばしの間の名前で

彼は生涯に30回と頻繁に改号しまし。

使用したは「春朗」「群馬亭」「北斎」「宗理」「可侯」

「辰斎」「辰政(ときまさ)」「百琳」「雷斗」「戴斗」「不染居」

「錦袋舎」「為一」「画狂人」「九々蜃」「雷辰」

「画狂老人」

「天狗堂熱鉄」「鏡裏庵梅年」「月痴老人」「卍」「是和斎」

「三浦屋八右衛門」「百姓八右衛門」「土持仁三郎」「魚仏」「穿山甲」などを

使っていたそうです。



そうした画狂人も有名ですね。


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自画像1842(90歳ころ)


絶筆とされている絵がこれ。



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富士越龍図



北斎の魂が富士から宇宙へ飛び立っていくようです。


辞世の句は、


人魂で 行く気散(きさん)じや 夏野原


その意、

人魂になって夏の原っぱにでも気晴らしに出かけようか」

というものであった。


こころも漂白人だったようです。





「富嶽三十六景」のなかでも

あまり知られていないものを紹介してみましょう。



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「相州七里浜」


不思議な遠近法があります。


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「武州玉川」


これも破綻寸前の遠近表現です。



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「駿州片倉茶園ノ不二」




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「江戸日本橋」


遠近法でいう消失点が3つありますね。

魅力的な設定です。



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「五百らかん寺さざゐどう」

この絵は大好きですね〜〜。

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のどかな江戸から望む富士。

完全なる和の調和。




北斎の絵の功績は
空間表現の革新的新しさにあります。



滝の表現を見て下さい。

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「木曽路ノ奥阿弥陀ケ池」

かっこよすぎ。





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五島鯨突|千絵の海


その後の国芳につながる表現ですね。




お化けもの

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最後は「北斎漫画」より


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はは、生きた表現とはこのことですね。




































by hamaremix | 2017-09-29 11:44 | 日本絵画の星 | Comments(0)

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「吉原」ではなく「品川」の遊里を描いた浮世絵


日本絵画の星33

鳥居清長 1752-1815/江戸後期


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鳥居清長の絵の大きな特徴はふたつあります。


ひとつは九頭身と言われる日本人離れした背の高さのデフォルメ表現。


ほんと長いよね。


これは柱絵ともいわれる縦長の画面を好んで使ったため

その画面に構図を考えた時に人物も自然に縦長になっていったと言われています。


でしょうね〜〜。



もうひとつの特徴は美人画の背景に

実際の江戸の風景を描いたことです。



そのため、それまで室内に閉じ込められていた、

美人たちが戸外の風景によって、

開放感が与えられたと言っていいでしょう。



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ねっ、明るいです。


鳥居清長の一番人気の作品が
「美南見十二候(みなみじゅうにこう)」のシリーズです。

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「美南見十二候・品川沖の汐干」

江戸の風景が描かれていますが、
二階から見れば、高層マンションなどなく、
す〜〜と江戸湾まで見通せた気持ちのよい風景があったのですね。


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「当世遊里美人合 蚊帳の内外」


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「新吉原江戸町二丁目丁字屋の図」


これはまた、画期的な画面つくりに成功してますなぁ〜。





鳥居 清長鳥居派四代目当主。鳥居派の代表的な絵師。

鈴木春信喜多川歌麿にはさまれた天明期を中心に活躍し、

それらや後の写楽北斎広重と並び六大浮世絵師の一人。

特に堂々たる八頭身の美人画で、今日世界的に高く評価されている。



鳥居清満の門人。

江戸本材木町(現在の日本橋)の書肆白子屋関口市兵衛の子。


「江戸のヴィーナス」

鳥居派は役者絵を専門とする画派だが、

むしろ清長の本領は一世を風靡した

「美南見十二候」、「風俗東之錦」、「当世遊里美人合」などの美人画にある。


初期は初め細身で繊細な鈴木春信や北尾重政礒田湖龍斎の作風を学んでいるが、

天明17811789)期になると次第に諸家の影響を離れ、

堅実な素描をもとに八頭身でどっしりとした体つきの健康的な美人画様式を創り上げた。

大判二枚続、三枚続の大画面を使いこなし、

現実的な背景に美人を群像的に配する清長の作風は美人風俗画と称され、

後の大判続物発展の基礎を築いた。

続物でありながら単体でも、全体を繋げて鑑賞しても破綻なくまとめられており、

清長の高い手腕が窺える。

また美人画の背景に、実際の江戸風景を写実的に描いたのは清長が最初であるとされる。
















by hamaremix | 2017-09-16 19:17 | 日本絵画の星 | Comments(0)
歌舞伎が庶民の娯楽の王座を占めていた
江戸時代後期。

人気歌舞伎役者の顔をクローズアップした「大首絵」は
今でいえば人気俳優のブロマイドのようなもの。


喜多川歌麿を見いだして世に送り出した、
版元の蔦屋重三郎が次にデビューさせたのが、写楽だった。



日本絵画の星 32 

東洲斉写楽 (生没年不明)/江戸後期


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「市川鰕蔵の竹村定之進」

あまりにも有名なこの歌舞伎役者の絵、市川鰕蔵。

写楽の歌舞伎役者絵は今でこそ、
日本美術のとっても秀でた存在として語られますが、
写楽の描いた役者絵は当時は
あまり売れなかったそうです。


それはなぜか。
写楽の筆にかかると、美貌で知られた女形も、
無骨な男の顔の輪郭や。わし鼻、太い眉、
太い首、平らな胸など、
美的でない所まで隠さずに描きだされ手しまいます。

艶色が売り物の歌舞伎役者の間で、
写楽の絵は不評だった。
また贔屓の役者絵を買い求めるファンにも好まれなかったのです。


歌麿のあと彗星のように現れた写楽
しかし、彼の制作活動は10ッ月の間しか
認められていません。

売れない写楽は、現在のアイドルのように、
人気がないことで
泡となって消えてしまったのでした。


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「三代目大谷鬼次」


写楽の版画は肉眼で見ると、他とは違って
格段の刷りの美しさをまのあたりにします。

それは、

コストの高い雲母摺(きらずり)
ー雲母という鉱物の粉を混ぜて摺ったもので
真珠のような光沢が生まれたからです。



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「 三代目瀬川菊之丞の田辺文蔵妻おしづ 」




うむ、実物をいくつか見ましたが、掛け値なしに美しいものでした。




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「 市川男女蔵の奴一平 」



彗星のように現れて、10ヶ月あまり、
写楽は浮世絵の歴史を彩る傑作を多数描きましたが、
結局どれも江戸の大衆に支持されるヒット作とはなりませんでした。

売れない写楽はそのまま突然姿を消してしまったのでした。






  • 謎の天才浮世絵師
  • 生涯・経歴: 寛政6年(1794年)突如として浮世絵界に現れ、
  • 10ヶ月の期間内に約145点あまりの浮世絵を発表し、
  • 忽然と姿を消した正体不明の謎の浮世絵師として知られている写楽。

  • 生没年、出身地、師弟関係なども不明であり、
  • また、彼を取り巻く謎として 

  • ①一般的には浮世絵師は版本等の挿絵を担当してから、
  • 1枚絵を手掛けるのに対し、写楽は大版錦絵28図という大作であったこと 
  • ②写楽の作品のすべてが版元蔦屋重三郎による独占販売であったこと
  •  ③寛政6年~7年という短い活動期間はなぜか 
  • という3点がさらに謎を深めています。
    ドイツの美術研究家ユリウス・クルトが
  • レンブラントベラスケスと並ぶ世界三大肖像画家と紹介したことがきっかけで、
  • 大正時代頃から逆輸入する形で日本でもその評価が高まりました。


  • 作風・モチーフ: 役者の表情や顔などを独特のデフォルメによって描き、
  • 内面までもを露呈させるかのような強烈なインパクトのある作品群が特徴です。
  • 短い制作期間でしたが、スタイルによって4つの期間に区切ることができます。
  • 【第1期】寛政6年5月。「大谷鬼次の江戸兵衛」に代表されるような
  • 大判役者大首絵図を手掛けた時期で、写楽の評価が最も高い 
  • 【第2期】寛政6年7月。大判・細判役者全身像として、
  • 役者の容貌の誇張を抑えて全身の表現により
  • 場面の雰囲気をつくりだしている 
  • 【第3期】細判役者全身像・間判役者大首絵・相撲絵 
  • 【第4期】細判役者全身像・相撲絵・追善絵・武者絵等

  • 評価と影響:当時写楽は賛否両論あったようで、
  • 厳しい評価としては、モデルを欠点さえも美化せずに誇張したり、
  • 役者の内面を生々しく描きだしているとして酷評しています。
  • しかし、写楽の作品によって大首絵の位置は高まり、
  • 役者絵の作画、販売量の増加を導いたと考えられており、
  • 後世に与えた影響も多大であるといえ、
  • 今日でも日本を代表する浮世絵師として世界中で輝きを放っています。




























by hamaremix | 2017-09-04 21:19 | 日本絵画の星 | Comments(0)
喜多川歌麿である。

もう、名前からして江戸の風味がぷんぷん。

昔は北川豊章と称していたらしい。

北川から喜多川への改名に「幕内」から「大関」にくらいの風格を感じさせる名前です。


日本絵画の星 31 喜多川歌麿((不詳)-1806/江戸中期)

喜多川歌麿といえば「ビードロ吹く娘」ですよね。

ビードロ=ガラスの玩具のことですが、最近の表記ではポッペンとなっていることが多いです。


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「ポッペンを吹く娘/婦女人相十品」

菱川師宣の「見返り美人」が浮世絵人物画初期の名作なら
「ポッペンを吹く娘」は中期の人物名作でしょうか。


顔の張りと振り袖、それに玩具で遊んでるところから、
10代半ばの女の子でないか?

手が極端に小さいのは鈴木春信ばり。


市松模様に花柄が重ねられた模様が新しいのでは。

そして何よりこのバランスのとれた愛され顔が永遠です。


この絵の当時のかなでの新しさ(革新性)は、
腰から上をトリミングして人物を描いた点にあります。

それは「美人大首絵」と呼ばれたジャンルを生みました。

もともとは役者絵を描く時の手法なのですが、
美人画でそれを試した歌麿なのです。


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「歌撰恋之部・稀ニ逢恋」


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「婦人相学十躰・浮気之相」

「浮気之相」って、、、、

美人とされるこの時代に描かれた「顔」はどうですか?

あまりにも小さいときから見慣れ過ぎていて、

綺麗なぁ〜とはあまり思えないのですが、

江戸時代の人はこれらの顔の女性に「は〜〜〜〜」って
溜め息をついたのでしょうかね?

絵(木版画)の完成度が職人的・芸術的な高みに達していて、
そこに感心したということもあるでしょうね。


当時は、見たこともないような最新の印刷物だったはずですからね。


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「山姥と金太郎」





さて、ここでこの時代、他にどんな絵師が活躍していたのか、
振り返ってみましょう。

喜多川歌麿(-1806)がいた江戸では、何といっても江戸淋派の酒井抱一(-1828)で、
その装飾美が頂点に達していました。
京都には円山応挙(-1795)、若冲(-1800)、曾我蕭白(-1781)、長沢蘆雪(-1799)が活躍して、
江戸期の絵画の頂点を極めていました。

それが大体この1800年前後の、江戸期の文化の状況です。

これはヨーロッパの特にフランスで1800年以降に栄えた
クールベ〜マネ〜から印象派へ至る
西洋美術の開花期より、
50年は早い文化のピークがあったと言えるのではないでしょうか。

いや、後に続く、北斎、広重の風景〜国芳と
江戸の浮世絵は近代に向かってさらに
その表現を深めていきます。




喜多川歌麿の作品は、その実物をみてみると

それは、配色と摺りの美しさはただならぬ雰囲気を醸し出していて、

他から一段も2段も上にあることを知ります。



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「青楼三美人」



「大首絵」以外でも歌麿はやはり高い画力を見せています。



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「 針仕事(部分)」

これは「針仕事」という作品の部分ですが、

薄い布の表現が凄い技術で、
CGで作り出したような効果です。


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「針仕事」


素晴らしい構図と人物の並び、そして配色です。



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「Catching fireflies/ホタルをつかまえて」

なんとも風情のある絵ですね〜。
当たり前ですが、完全和風。なんの混じりけもない日本風。

こんな世界がこの地上にあったんですよね。





くすん。笑



さらに、これまたビジュアル・センセーション。

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「両国橋・船あそび」





さて、グーグル画像で喜多川歌麿って検索すると、

凄い数の春画が出てきます。

みんな描いてるんですね、

それだけ需要があったってことでしょうけど。



そんななかで私が、すごいなぁ〜と前々から思っていた一枚があります。

それはこれです。


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「歌まくら」


この絵が持ってる心理効果は、すごいものがあります。


生々しく誇張された性器が描かれたものは、即物的で想像力が働きませんが、

この男女の顔が見えない、陰部も見えない

けれど、男女の絡みの情景を

こんなに上手く上品に表現したものは他にないですね。


この上品さが歌麿だと、強く感じました。
by hamaremix | 2017-04-05 22:07 | 日本絵画の星 | Comments(0)
代表作です。

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「雪中相合傘」

路に枝葉に、傘に積もる雪。
白を基調にした配色で、背景のベージュ。さらにおんなが着る着物の薄いベージュ。
そして頭巾の白、
対比的な男の着る黒い着物、おんなの帯の黒。

アクセントに小豆色と落ちついた紅色。


寒い雪中であっても、あいあい傘の男とおんなのほのぼのとした気持ちが
この微妙な配色によって、温かく、しかも上品に
粋に表現されています。


作者は鈴木春信です。


日本絵画の星 30 鈴木春信((不詳)-1770/江戸中期)

それまでの錦絵といえば、2〜3色だった色彩を、
一気に7〜8色以上の多色摺(たしょくずり)に発展させて、
絶大に人気を誇った江戸中期の絵師が鈴木春信です。

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「秋の風」

多色摺といっても、色には必ず白が混ぜてあり、
今でいうパステルカラー、、、(違いましすね〜、)いわゆる今で言う和の色彩
で見事にまとめられています。


鈴木春信の絵は美人画が主だと思いますが、
遊女や役者絵でけでなく、
現存する茶屋の看板娘を描くなど
江戸に住むおんなの生活がさりげなく、面白く描かれてあり、
とっても興味深いです。

描かれるおんなたちは、
皆、華奢な体つきで、手などとっても小さく、
折れてしまうのではと心配になるくらいです。

後の喜多川歌麿のような
理想的なプロポーションを持った美人が出てきたり、
人物の顔をクローズアップしたような絵もありません。

人物は記号的というか、顔はみな同じ感じ。
ユニセックスな雰囲気で、男女の違いもよく分らないという
大きな特徴があります。


そんなことを頭に入れて、幾つかの絵を見て、
楽しんで下さい。

そうそう、鈴木春信の絵はとってもほのぼのと楽しいんですよ。



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「夕立」

雨風が線で表現されています。漫画的表現ですね。

振り袖の跳ね上がり、下駄も転がってしまってます。



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「梅の枝折り」

鼠色の土壁と瓦屋根の黒の直線的な幾何学的模様と
着物のオレンジ〜赤茶色の有機的な模様それに身体の曲線とが素晴らしい対比を生み出しています。

地面の黄土色と梅の色が同じところにも注目です。

画面を斜めに横切る、縞模様を意識しての構図と配色です。

これは素晴らしいです。



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「夜の梅」

夜の闇を大胆に黒だけにして、
灯りに照らし出されたのは梅のみ、
要らないものは捨て去る、究極のデフォルメです。


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「縁先美人図」

これは晩年の作ではないでしょうか。
背景の表現にとっても深まりを感じます。

宴の席から離れた瞬間の、
ふとふとおとずれた倦怠感でしょうか、
宴の席では明るく振る舞っていても、我に返った時に
自身のかかえる何かに寂しさを感じた、、、、、

というような、心の内が表現されていますね、この絵は。



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「縁先物語」

縁先は鈴木春信の得意な設定場所。
ちょっとした秘め事が描かれていることが多いです。笑


それにしても、男とおんなの違いがわからな〜〜い。



鈴木春信が活躍した時期は1760~1770のほぼ10年です。
その10年という短期間に多くの作品をのこしました。
写楽が10ヶ月で150点以上の作品を描いたがそれを
上回る僅か5年の間に質の高い千百点以上の作品を残したと言われています。

1000点ですよ〜〜、、、

人気があって、今の漫画家のように描き続けたのでしょう、

当然のように過労によって45歳で春信は亡くなったということです。
また春信は相当な酒豪であり、死んだ原因も酒が原因の脳卒中であった
など、いろいろ言われています。




古歌の心や古い画題を現代風俗に見立てたりした絵も描いています。

これ「寒山拾得」です。

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「寒山拾得」

見立図の一つ。
「寒山・拾得」は中国の伝説の二人組。山で隠遁生活を送る奇怪な人たちで、
たいていは不敵な笑みを浮かべた怪奇的な風貌で描かれます。

しかしこの春信の絵ではなぜか若いカップルに変身。

バックのマーブリングは墨流しではなく、実際に版画で制作しているんだそうです。




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「見立琴高」

鯉に跨った琴高仙人。
雪村の絵などで有名な仙人です。

しかし、春信の手にかかるとなぜか仙人が女の子に。
鯉の背に乗る美人。
春信はこういった見立図(古典を美人画に変えて描く)もたくさん描いたようです。

グラビアですね。




この時代までに、他に見たこともない面白い絵もあります。

これです。

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「孟春」

二人が同じ夢を見ているんですね〜〜〜〜。

漫画の吹き出しに絵が描かれてるといった風です。
凄いですね〜、表現の自由をかなり獲得しています。




こんなのもありました。

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「清水の舞台から飛ぶ美人」


「清水の舞台から飛ぶ美人」って自殺じゃないですか〜。

しかし、傘をもって、自身ももって飛び降りてる様子です。


穏やかな画風の鈴木春信のなかでも
かなり意表をつく絵ですね。

絵師の想像力の飛躍を感じる一枚です。





さて、この時代のどの絵師も春画を描いていますが、

鈴木春信も凄い数の春画を描いています。

あらゆるシチュエーションで、という感じで、、、、、


軽い一作だけ紹介しときます。

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鈴木春信の絵を見る楽しさには、
江戸のファッション、風俗、おんなの生活、そんなものを
ノゾキ見るようなものがあります。


粋に楽しめますね〜〜〜。

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これもとっても面白いです。

書き直しの習字の文字部分だけが、混沌としています。笑


しかし、遠近法でないこの構図、、、

これも素晴らしいですね。

渦巻き状の構図ですよ。








by hamaremix | 2017-03-21 16:39 | 日本絵画の星 | Comments(0)
「浮世絵の祖」といわれる、菱川師宣(ひしかわもろのぶ)です。

日本絵画の星 29 菱川師宣(1618(不詳)-1694/江戸中期)

最もよく知られ、日本人に愛されてきた絵がこれ。

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「見返り美人」1688ー1704年頃

「見返り美人」といえば切手の図案としてとっても有名です。かなぁ〜。
私の幼少の頃、切手の絵としてこの「見返り美人」は
いつも話題に上がりました。


この見返りのポーズにはある意図があります。

それは当時流行した帯の結び方や髪の結い方を
見る人にアピールするものがったのです。
今でいう最新のファッション写真と同じものだと言えるのです。

帯の結び方は当時の人気歌舞伎役者
上村吉弥(うえむらきちや)が用いた「吉弥結び」といわれるものでした。



ほっ、ほ〜〜〜。

新しい(風俗)絵だったのですね。

そして、さらになぜこの絵がここまで有名なのか?

それは、たぶん「江戸の美人画」としてのジャンルみたいなものが、
この絵によって発明されたという意味があるからだと思います。

浮世絵といえば木版画ですが、この「見返り美人」は肉筆画です。


こちらは「立姿美人図」
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そして「二美人図」
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この絵などは、まだスタイルとしての美人画には
なっていませんね。



同じように当時のイケメン像もあります。

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遊び人って感じですね〜。



師宣の絵師としてのスタートは、これまで紹介してきた絵師とは違っています。

まず彼は最初は大衆向けの本の挿絵を描いていました。
今で言うイラストレーターでしょうか、しかも無名のイラストレーター。

それが1672年の「武家百人一首」という挿絵本で、
名前が入るようになりました。
人気が出たんでしょうね、当時としては異例のこと。

そして本のなかの挿絵の割合を増やしていき、
連作版画(揃物そろいものとよばれた)を誕生させました。

挿絵を独立した商品として認知させるまでになりました。

そのことは浮世絵をジャンルとして確立させたという功績になります。



しかし、菱川師宣の画域は挿絵や連作版画だけでなく、
土佐派を思わせる細密な花鳥画や物語絵も描いています。



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「歌舞伎図屏風」

歌舞伎の舞台やその楽屋、舞台裏を克明に描いた絵です。



その部分


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ひとりひとりの着物の意匠が丁寧に描き分けられているのが、特徴で、
まさに「かぶいた」絵ですね。


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「江戸風俗図鑑」


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「上野花見図」

花見、昔っからの日本人の春の遊興ですね。


これらの絵には当時の町の人々の姿が描かれていますが、
ここには
江戸期になっ政治が安定し、平和を享受している人々の姿が印象的ですね。





挿絵の中には春画の仕事もあって

当時の恋愛光景が分って面白いです。

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からみの生々しいのもありますが、、、そこは、
各自で調べてみて下さ〜〜い。笑










以上、日本絵画の星★29「菱川師宣」編でした。
by hamaremix | 2017-03-13 15:07 | 日本絵画の星 | Comments(0)
江戸時代の絵画のジャンルのひとつに「秋田蘭画」があります。

東北のあの秋田藩(当時は久保田藩)に
安永年間(1772年-1781年)に久保田藩で成立したが、
後継者もなく天明年間(1781年-1789年)には廃れた。
という約10数年の間に秋田の数人の画家によって
なされた画法なのです。


その代表的画家として、名前が取りあげられるのが秋田藩士小野田直武です。

日本絵画の星 28 小野田直武(1749-1780/江戸中・後期)

その小野田直武の秋田蘭画とはどうゆうものか?

こうゆうものです。

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「不忍池図」1770年代/秋田県立近代美術館



どうでしょう。

これまでに見たことの無い不思議な画風です。

平面的な日本画風の花に奥深い風景画が合わさったような〜〜〜〜〜


しかし、これ日本絵画史上とっても有名なんですよ。

さて、ここに描かれていた花は芍薬の花です。

その拡大図

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この芍薬の花の描き方こそこれまでの絵師のものとは変わらないようですが、
植木鉢の陰影のつけ方と地面に出来ている影には明らかに西洋絵画の
遠近法によって、実際に見えるように表現されています。

それとこの不忍池図という東京上野の池の表現の仕方は
あからさまに空気遠近法が使われて、
遠くが薄くぼんやりと、そして極端に小さく描かれています。

また画面右の樹の幹の表現にも明らか蘭画(西洋画)風です。

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そこでこの秋田蘭画とは、、、
「西洋画の手法を取り入れた構図と純日本的な画材を使用した和洋折衷絵画である。
秋田派ともいう。しかし、その極端な遠近法は後代の浮世絵にも大きな影響を与えたとされる。」

という遠近法の取り入れ方に後世に大きな影響を与えたことで
歴史的意味があったようです。



さて、この極端な遠近法を小野田直武はなんと平賀源内に習っているのです。

久保田藩は財政再建のための方策として鉱山開発に着目しており、
安永2年(1773年)7月、平賀源内を鉱山技術者として藩に招聘したそうです。

言い伝えでは、源内が酒造業者五井家に泊まった際、宿の屏風絵に感心した源内が
その絵の作者だという直武を呼び、「お供え餅を上から描いてみなさい」と直武に描かせ
てみせたところ、
二重丸を描いた直武に「それではお盆なのか餅なのか分からない」と言い、
即座に陰影法を教えたという。
このとき直武は24歳、それに対し源内は満45歳であった。そうです。



その平賀源内と通して小野田は杉田玄白の「解体新書」の挿絵をかくことになります。

挿絵と言っても、科学の本なので、見た目通りにか描ける描写力(デッサン力)が
必要だったのですが、源内は小野田直武の画力を信じたのでしょうね。

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「解体新書」絵師・小野田直武


さて秋田蘭画の担い手には第8代久保田藩主・佐竹曙山(さたけしょざん・1748~1785)もいます。


その藩主佐竹曙山の作品。
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「湖山風景画」1770

銅版画風ですよね。


後先になっていますが、前回の司馬江漢は小野田直武に絵を学んでいたのです。






秋田蘭画流行の背景には、徳川吉宗の蘭学奨励、当時の南蘋(なんびん)派の流行、
および博物趣味の広まりがあると指摘されている。
秋田蘭画も南蘋派の影響を受けており、その意味からは和漢洋の折衷体から
独自の境地を見出した画派といえる。
ウィキより

by hamaremix | 2017-03-07 17:41 | 日本絵画の星 | Comments(0)
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         「天球全図月輪真形図」
1800年前後に描かれた、月の表面の絵です。

描いたのは司馬江漢

司馬は蘭学に通じ、
天文・地学、動植物など西洋博物学、自然科学に興味を持ち、
日本に紹介した人です。

世界地図の紹介も行っています。
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「地球全図」


印刷技術の発展により本の形で、
蘭学で得た、日本人が知らなかった科学的情報を
広めようとしたのでしょう。


日本絵画の星 27 司馬江漢(1747-1818/江戸中・後期)

司馬江漢は江戸で生まれています。
15歳で父を亡くし、早くから絵で生きていこうと考えたようです。

狩野派に入門。
しかし、狩野派の絵に満足できず、
19歳になって浮世絵師鈴木春信の弟子となります。

あの美人画で有名な鈴木春信です。

しかも、あまりにも上手いので、
春信とサインのある絵でもじつは司馬江漢が描いたものもあると
美術史家方が言っていられます。

そのひとつとされるのがこれ、
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春信の名前が入っていますが、司馬江漢作と認められているそうです。

3人の美人が大きな雪玉を作っています。

絵のテーマも面白いですが、
注目は遠近法です。
凄い遠くまで風景が描かれています。

テーマからいうと必要以上に遠近感が強調されすぎています。
でも、そこが当時この絵の大きな魅力にもなっていたはずです。
すごい遠近感を感じるという疑似3次元空間的魅力です。


司馬江漢は浮世絵師としては鈴木春重という名と二代目鈴木春信の名両方を残しています。
鈴木春重の名のある浮世絵は
10点以上あるそうです。

有名な絵がこれ
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「楊弓場」

面白い絵です。

先ず女子でも弓矢を撃って遊べる場所があったのですね〜。
江戸時代の生活の楽しみが伝わってきます。

しかし、この絵で一番の面白みは画面中心、ど真ん中に
遠近法の消失点を置き、そこに弓矢のマ的の中心を重ねているところです。

またここでも外の風景が左右の外空間に描かれていて
それがまた川か海の向こうに浮かぶとお〜〜〜〜い風景を描いて
絵の中の3次元的イリュージョンを強調しています。


司馬江漢がここで使っている遠近法はⅠ点透視図法ですね。

これ、以後も彼の絵の最大の武器としていくのです。



さてその後、浮世絵以外の絵に興味を持っていきます。

25歳のころおそらく平賀源内の紹介で西洋画法にも通じた宋紫石の門に入ります。
ここで南蘋派の画法を吸収し漢画家となりました。
(当時、写実的な漢画の表現は流行の先端を行くものだった)。

そして
さらには洋風画(油絵)へと表現をかえていくことになります。


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「江ノ島富士遠望図」

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「卓文君像」

これは人体のプロポーションを間違えています。
デフォルメといっても通用しない範囲の過ちですね。



さて司馬江漢の作品で一番評価があるとされるのが、洋風画(油絵)です。

その油絵をみてみましょう。

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「駿州薩陀山富士戸遠望図」1804

あれ、、、

なんか、、、


昭和の銭湯屋の大きなタイル絵みたい?に見えますよね。ww


この絵で感じるのは、水墨画的風景のセンスをほぼ残していないということです。

水墨画の風景には深い精神性を感じますが、
ここにはそれはないですね〜。

また、西洋画の画法もありません。


この眼は、かなり無垢です。

色メガネなしに風景をみて描いた少年のような目を感じます。


だから、伝統的な重さもないし、束縛感もないし、
威厳もありません。
とてもゆったり、のんびりとしています。

なので風呂屋の絵に受け継がれたのかもしれません。笑


他にも
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「七里ケ浜」

うおぉ〜い、ゆるやかで、きもちいい〜ですね〜。


これまた、すがすがしい〜気持ちになれますよ。

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「馬入川の富士図」



想像画の部類になるでしょうが、
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「捕鯨図」1794


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「像図」

まぁ〜これらの絵から、「稚拙」だとして評価しない方々もおられるそうです。

しかし、これは日本での油絵の黎明期の絵です。
それは「稚拙」と思える絵もあるでしょうが、
その場合の絵の上手い下手というのは写実主義的目線になりがちなので、
注意した方がいいです。

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「洋風人物画」


この作品の画材はなんでしょう?そこが気になります。




司馬江漢の名は油絵の他でも記録に残るものがあります。

日本初の腐蝕銅版画(エッチング)の創製に成功した人というパイオニアーです。
1783年のことです。

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銅版画でも、一点透視図法で遠い風景を得意としていました。


さて、こんなイラストも見つけました。
これはイラストとしか言えません。(江戸期イラストです。)

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「徳楽嶋(ロウデストウ)巨銅人之図」


これは、洋書の挿絵か何かを模して描いたのだと思いますが、、、
面白いです。




司馬江漢は相当に変わった人だったというエピソードがあります。

晩年は人との交流が面倒になり、
人が訪ねて来ないように
自分の死亡を報告する手紙を知人に送ったということです、、、www





もう一つ話題があります。
安藤広重の「東海道五十三次」は実は司馬江漢の
東海道五十三次を描いた画帖を元にしたという説です。

はっきり言えば、安藤広重が司馬江漢の絵を盗作したものではないか?疑惑です。


伊豆高原美術館(現在は閉館されてない)の館長、對中如雲氏が唱えた説です。
当時、テレビでも紹介されて広まった説。

對中如雲氏の著書 
広重「東海道五十三次」の秘密 祥伝社刊(平成7年)によるものです。


上が司馬江漢の画帳の絵で、下が安藤広重の版画
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一緒じゃないですか!!!!

広重の殆どの絵に司馬江漢の元絵があると、、、

それをみると、あ〜〜〜、これは真似たな〜って確信します。


しかし、ですね、もう少し調べてみると、
この広重「東海道五十三次」の秘密 祥伝社刊
に書かれていて、司馬江漢が描いたものとされる
絵自体に、昭和の時代になって描かれたもの説が浮上して、

この説は怪しい都市伝説に堕ちいったようです。











最後に

司馬江漢の絵の遠近法の使い方、その色使い、、、

私は全く意識もしていなかったし影響も受けていないのですが、

私の絵と共通するものを感じながら、今回司馬江漢の絵をみていました。

by hamaremix | 2017-01-30 13:45 | 日本絵画の星 | Comments(0)
「画家の生涯を知ることと、その画家の作品を味わい理解することとは全く関係がない。」
Hamaremix

と思うのです。
ですから、画家の研究という時にその画家がどこでどのように生きたかを
調べたりするのですが、それは作品の裏を見るようなもので、表に描かれ
ている絵の内容を理解するものではありません。
ですが、この作品がどのような人物から生まれでたのか?どこに住んでい
たのか?どんな人物であったか?またその時代はどんなもにであったか?
その師匠はだれか?といった関心がどうしてもわいてきます。そこから調
べていくのは人文科学の研究であるのだと思います。ですから絵を観賞する
こととは別物と考えましょう。その画家のことを何一つ知らなくても怖じ気
づくことはありません。

絵を本来的に味わうには、その画家のことなど何も知らないままその絵の前
に立ち、自身のサラの目でもって見つめるのが一番良いのです。
美術館などで、昨今はヘッドフォンで解説お聴きながら観賞するシステムも
ありますが、先ず最初はさらの目で見ることが最良の絵画鑑賞なのです。

もう、それだけで充分に観賞は完結しているのですが、その絵のことが知的な
レベルで興味がわきおこってくる場合に、キャプションや音声解説を利用すれ
ばいいと思います、がそれは絵画鑑賞ではありません。予備知識の得るという
ものですね。

映画を観ていて、別レベルで音声解説などあったら嫌だと思うのですがそれと
一緒です。

もちろん私も絵を見る時はキャプションや本などから知識を得ますが、私は私
の知識外の最良の作品に触れる時に一番の感動をおぼえるというものです。


そのことはこの情報時代にいかに瑞々しく視覚体験をするかというヒントにもなると思いますよ。


前置きが長くなってしまいました。
長沢蘆雪(ろせつ)のことです。

長沢蘆雪という画家が
江戸中期に京都で活躍しました。
蘆雪もまたその生涯があまり知られていません。
蘆雪という絵師に関していえば、もう絵が不思議なので、
そのまま彼の生涯も謎多きものでいいと思います。

日本絵画の星 26 長沢蘆雪(1754-1799/江戸中・後期)

南紀串本(紀伊半島の最南端の地)の無量寺という禅寺があります。
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そこに蘆雪の障壁画群が残されていきました。

これですよ!これ。
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「虎図襖」
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「龍図襖」


この虎、愛されキャラですよね。
猫みたいで、、、
しかし、この虎図は日本一の大きさです。
さらに蘆雪のもっとも知られている傑作です。

お寺に飾られているこれはデジタルプリント複製ですが、

本物は境内にある「串本応挙蘆雪館」でみることが出来るそうです。
(期間限定だと思いますが)
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串本応挙蘆雪館

ふたたび「虎図」(正面から)

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これみんな好きなのではないですか?
私も大好きです。


抱きつきたいような衝動まで起こさせます。笑

私はかってにキャットタイガーと名づけました。

大胆に描いていますが、構図が富士山型で安定感も抜群ですが、
その安定感は虎の身体の動きを封じてしまうものではないところが、妙です。
並ではありません。笑


そして一番いいのはにじみ出ているユーモアの感覚だと思います。


長沢蘆雪の最もいい作品群にはユーモアのセンスが含まれていると思います。

見てみましょう。
「白象黒牛図屏風」です。
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「白象図」
おお〜〜〜〜〜きな白象。

腰辺りにカラスがいます。

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「黒牛図」
こちらもおお〜きな黒牛。

お腹辺りに白い犬がいます。

こんな描き方で象と牛を表現した画家は蘆雪が初めてですよ。

また2双での「白と黒色」の対比、
絵の中での「白象と黒いカラス」「黒牛と白い犬」の対比といった、
トポロジカル(図像的)な構成を使っています。



そして黒い牛のお腹にこのワン子
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大きなものを恐れない小犬の存在は、
見る人に安心感を与える役割を持っています。

またこれがかわいいではありませんか?


ユーモアのセンス感じませんか?


長沢蘆雪のワン子は可愛さで有名です。

ワン子を愛していたんでしょうね。

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真ん中の線だけで描かれた白い犬、
肩から尻尾の先までの曲線にky〜〜〜unときます。


ユーモアだけがコンセプトになったような絵がこれです。
明らかに笑わそうとしていますよね。

「なめくじ図」

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これはコンセプチュアルアートといっても違和感はありません。



蘆雪もジャンルを問わずいろいろな題材を描いていますが、
蘆雪らしさがでるのは動物画のようです。

猿。

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「岩上猿・唐子遊図屏風」右隻

猿を描いているものにはあまりユーモアがないのは、
それほど猿に愛着を持たなかったからでしょう。

ですが、この絵の構図も大胆です。
岩場の表現なにですが、とても平面性を意識していると思います。

画面を大きく2分割したことを強調しています!!


獅子
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これ、変ですよね〜、、

落ち武者のようです。

酔っぱらって描いたんじゃ?などと思っていまいます。でも、笑えます。



島根県松江市の西光寺にはこんな絵があります。
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早い筆で描かれてます。

が、ちょっと崩れ気味、、、

ですが、

この描き過ぎない表現、
水墨画の精神に、蘆雪の絵の「軽み」の魅力なのかもしれません。


長沢蘆雪は円山応挙の弟子なのですが、
円山応挙にはユーモアのセンスはありません。
その対比がおもしろいところです。

しかも応挙の得意とした写実的なもの以外に蘆雪
自身のオリジナルを見いだしたんではないでしょうか。

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「富士越鶴図」

見どころは富士山の急な稜線と鶴の飛んでいる列でしょうね。



最後はしっとりとしたこちら。

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「月夜山水図」






南紀串本、行ってみたいですね〜、いや、行きたい!

いや行きます!!





以上です。053.gif053.gif
by hamaremix | 2017-01-05 12:54 | 日本絵画の星 | Comments(2)