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浜本隆司ブログ オーロラ・ドライブ

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浜本隆司のブログ

司馬江漢

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         「天球全図月輪真形図」
1800年前後に描かれた、月の表面の絵です。

描いたのは司馬江漢

司馬は蘭学に通じ、
天文・地学、動植物など西洋博物学、自然科学に興味を持ち、
日本に紹介した人です。

世界地図の紹介も行っています。
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「地球全図」


印刷技術の発展により本の形で、
蘭学で得た、日本人が知らなかった科学的情報を
広めようとしたのでしょう。


日本絵画の星 27 司馬江漢(1747-1818/江戸中・後期)

司馬江漢は江戸で生まれています。
15歳で父を亡くし、早くから絵で生きていこうと考えたようです。

狩野派に入門。
しかし、狩野派の絵に満足できず、
19歳になって浮世絵師鈴木春信の弟子となります。

あの美人画で有名な鈴木春信です。

しかも、あまりにも上手いので、
春信とサインのある絵でもじつは司馬江漢が描いたものもあると
美術史家方が言っていられます。

そのひとつとされるのがこれ、
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春信の名前が入っていますが、司馬江漢作と認められているそうです。

3人の美人が大きな雪玉を作っています。

絵のテーマも面白いですが、
注目は遠近法です。
凄い遠くまで風景が描かれています。

テーマからいうと必要以上に遠近感が強調されすぎています。
でも、そこが当時この絵の大きな魅力にもなっていたはずです。
すごい遠近感を感じるという疑似3次元空間的魅力です。


司馬江漢は浮世絵師としては鈴木春重という名と二代目鈴木春信の名両方を残しています。
鈴木春重の名のある浮世絵は
10点以上あるそうです。

有名な絵がこれ
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「楊弓場」

面白い絵です。

先ず女子でも弓矢を撃って遊べる場所があったのですね〜。
江戸時代の生活の楽しみが伝わってきます。

しかし、この絵で一番の面白みは画面中心、ど真ん中に
遠近法の消失点を置き、そこに弓矢のマ的の中心を重ねているところです。

またここでも外の風景が左右の外空間に描かれていて
それがまた川か海の向こうに浮かぶとお〜〜〜〜い風景を描いて
絵の中の3次元的イリュージョンを強調しています。


司馬江漢がここで使っている遠近法はⅠ点透視図法ですね。

これ、以後も彼の絵の最大の武器としていくのです。



さてその後、浮世絵以外の絵に興味を持っていきます。

25歳のころおそらく平賀源内の紹介で西洋画法にも通じた宋紫石の門に入ります。
ここで南蘋派の画法を吸収し漢画家となりました。
(当時、写実的な漢画の表現は流行の先端を行くものだった)。

そして
さらには洋風画(油絵)へと表現をかえていくことになります。


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「江ノ島富士遠望図」

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「卓文君像」

これは人体のプロポーションを間違えています。
デフォルメといっても通用しない範囲の過ちですね。



さて司馬江漢の作品で一番評価があるとされるのが、洋風画(油絵)です。

その油絵をみてみましょう。

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「駿州薩陀山富士戸遠望図」1804

あれ、、、

なんか、、、


昭和の銭湯屋の大きなタイル絵みたい?に見えますよね。ww


この絵で感じるのは、水墨画的風景のセンスをほぼ残していないということです。

水墨画の風景には深い精神性を感じますが、
ここにはそれはないですね〜。

また、西洋画の画法もありません。


この眼は、かなり無垢です。

色メガネなしに風景をみて描いた少年のような目を感じます。


だから、伝統的な重さもないし、束縛感もないし、
威厳もありません。
とてもゆったり、のんびりとしています。

なので風呂屋の絵に受け継がれたのかもしれません。笑


他にも
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「七里ケ浜」

うおぉ〜い、ゆるやかで、きもちいい〜ですね〜。


これまた、すがすがしい〜気持ちになれますよ。

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「馬入川の富士図」



想像画の部類になるでしょうが、
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「捕鯨図」1794


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「像図」

まぁ〜これらの絵から、「稚拙」だとして評価しない方々もおられるそうです。

しかし、これは日本での油絵の黎明期の絵です。
それは「稚拙」と思える絵もあるでしょうが、
その場合の絵の上手い下手というのは写実主義的目線になりがちなので、
注意した方がいいです。

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「洋風人物画」


この作品の画材はなんでしょう?そこが気になります。




司馬江漢の名は油絵の他でも記録に残るものがあります。

日本初の腐蝕銅版画(エッチング)の創製に成功した人というパイオニアーです。
1783年のことです。

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銅版画でも、一点透視図法で遠い風景を得意としていました。


さて、こんなイラストも見つけました。
これはイラストとしか言えません。(江戸期イラストです。)

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「徳楽嶋(ロウデストウ)巨銅人之図」


これは、洋書の挿絵か何かを模して描いたのだと思いますが、、、
面白いです。




司馬江漢は相当に変わった人だったというエピソードがあります。

晩年は人との交流が面倒になり、
人が訪ねて来ないように
自分の死亡を報告する手紙を知人に送ったということです、、、www





もう一つ話題があります。
安藤広重の「東海道五十三次」は実は司馬江漢の
東海道五十三次を描いた画帖を元にしたという説です。

はっきり言えば、安藤広重が司馬江漢の絵を盗作したものではないか?疑惑です。


伊豆高原美術館(現在は閉館されてない)の館長、對中如雲氏が唱えた説です。
当時、テレビでも紹介されて広まった説。

對中如雲氏の著書 
広重「東海道五十三次」の秘密 祥伝社刊(平成7年)によるものです。


上が司馬江漢の画帳の絵で、下が安藤広重の版画
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一緒じゃないですか!!!!

広重の殆どの絵に司馬江漢の元絵があると、、、

それをみると、あ〜〜〜、これは真似たな〜って確信します。


しかし、ですね、もう少し調べてみると、
この広重「東海道五十三次」の秘密 祥伝社刊
に書かれていて、司馬江漢が描いたものとされる
絵自体に、昭和の時代になって描かれたもの説が浮上して、

この説は怪しい都市伝説に堕ちいったようです。











最後に

司馬江漢の絵の遠近法の使い方、その色使い、、、

私は全く意識もしていなかったし影響も受けていないのですが、

私の絵と共通するものを感じながら、今回司馬江漢の絵をみていました。

by hamaremix | 2017-01-30 13:45 | 日本絵画の星 | Comments(0)