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浜本隆司ブログ オーロラ・ドライブ

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浜本隆司のブログ

小浜宿

兵庫県宝塚市

阪急電車が梅田〜宝塚の線路をひいて、宝塚駅周辺そして宝塚歌劇を中心に、
今にいたる賑わいをみせてくる前、

かっての有馬街道、西宮街道、そして京都・伏見街道が交わる所に「小浜」という
宿場町がありました。今もあるんですが、、、、

ここが江戸時代(宝塚のなかで)人の集まる中心の場所だったのです。

それが証拠に江戸時代に建てられた町屋や旅籠、木賃宿、馬借などが並んでおりました。

並んでおりました、というのは
阪神・淡路の震災で、耐えきれずほとんどその文化財のような、
街並は壊されてしまったのでした。

でも、何軒かは地震で半壊になったものの修理して、その姿を残しています。


ということで「小浜宿」とよばれる町に行ってきました。


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こんな道標が立っていました。

小浜宿資料館があって、そこで町の歴史を教えてもらいました。
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小浜地域は、明応年間(15世紀末)に浄土真宗の毫摂寺(ごうしょうじ)が建立され、
その寺内町として発展してきたそうです。

当時浄土真宗のお寺というのは、勢力を持っていて、
ここも毫摂寺を囲うように民家が建ち並び、周りを防御のために、
天然の河を利用して堀を作っていたということでした。

その毫摂寺
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秀吉も有馬へ温泉に行く時にこの毫摂寺に泊まったらしいですよ。


まぁ、宿場町なら、それは、いろんな偉人もこの小浜宿で一泊したことでしょう。


この町で現在最もシンボリックな古いお家は井川さん宅です。

これ
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お〜〜雰囲気ありますね〜。

屋根がすごい!!
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元は「菊仁」という名の酒屋だったそうです。
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堀の様な河の北側にも古〜〜いお家がありました。

「和田家」です。
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和田さん宅も地震で屋根や外壁が無茶苦茶になったそうですが、
梁や柱は全く大丈夫だったそうです。

しかし修理には莫大なお金がかかるということで、
その際、宝塚市に寄贈をされたそうです。
そこで市がこの文化財(宝塚で最も古い民家)を修理し蘇生させました。

で、現在資料館の一部として内部を一般公開していました。





町の南側、西宮に向かう西宮街道の始点あたりに
首地蔵というのがあります。

お地蔵さんの首だけを祀っているのです、、、

しかもこれが大きな首!!!なんです。

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けったいな〜。

左の地蔵産さんはいいお顔ですね。


なんでも、昔、武庫川が氾濫し洪水になった時に、

この首だけが、小浜宿の周辺にたどりついたのを、
地元の人たちが祀ったのが、
今に残っているんです。

これは、大きいし、たしかにゾンザイには扱えません。

でも、身体は何処へ行ったのでしょう?
石なので、消えてなくなるとは思えないのですが。

武庫川の川底か?

いつか見つかるといいですね。







小浜宿には、他にも見るべきところがあるんですが、、、

それはまた今度に紹介しますね。。。


今年の6月にスケッチに来ることにしたので、
また2度は来る予定なんです。

その時にね〜〜〜。


最後は江戸時代の「小浜宿」のジオラマです。

あれ〜、これ、修ちゃんが作った????

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今日はこの辺で、、、


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by hamaremix | 2017-01-10 21:04 | ライフ | Comments(4)
Commented by 亜鶴 at 2017-01-11 22:53 x
うわ 懐かしい場所 笑
Commented by hamaremix at 2017-01-12 05:57
え、、住んでた?杉本君が一時住んでいたらしい、つぶやいてた。いいとこです。
Commented by 亜鶴 at 2017-01-14 17:19 x
住んでた っていうか地元校区ど真ん中です笑 
小学校の時そこら辺で良く遊んでました
Commented by hamaremix at 2017-01-14 18:13 x
亜鶴が小さい頃というのは、阪神淡路の地震の後だから、今のまんまの街並で遊んでいたってことね。
名前忘れたけど小学校確かに毫摂寺の横にあった!!!