円山応挙 完全版
’かわいい’小犬の絵、作者は
江戸中期絵師の大御所です。
円山応挙(1733-1795)
写生というのは、従来の狩野派や土佐派においては
絵を描くためのメモでしかなかったものを、
ひとつの絵画技法として確立したのが
円山応挙。
江戸中期、(18世紀中頃)は、
日本の写実的表現の黎明期と言えましょう。
日本絵画の星 22 円山応挙(1733-1795/江戸中・後期)
先ずは最も有名な「雪松図屏風」(ゆきまつずびょうぶ)国宝です。
「雪松図屏風」1765 左隻
「雪松図屏風」1765 右隻
光琳の紅白梅図を意識してるような、してないような、、、笑
どうでしょう?
ちょっと艶っぽさに欠けるというか、、、
う〜〜〜っん実物観てないのでわかりませんが、
やや面白みに欠けるような気もしますが、、
国宝の絵をやゆするというのは、
いけませんね、、、、
これも日本の美の頂点にあたるもので、
ここから、何を学ぶかですよね。
さて、応挙は京都に在住の絵師ですが、
香川県金比羅山には応挙の襖絵が、いくつも奉納されてあります。
これが名作揃いで、素晴らしいです。
「七賢の間」
金泥と墨による表現が禅的なムードがありますね。
「表書院虎の間」
これハルカスで観て感動した作品です。
墨の色が濃く、力強い表現がどしんときますが、
そこは襖絵、基本はやはり上品であることに間違いないです。
円山応挙
丹波国桑田郡穴太村(現京都府亀岡市)の農家に生まれる。
15才の頃京都に出て、京狩野の石田幽汀について学ぶ。
応挙を名乗る1年ほど前から、三井寺円満寺の祐常門主に目をかけられ、
(いわゆるパトロン)、画技は大いに進化したようです。
応挙の写生技法習得にはルーツがありました。
それは覗きからくりにあります。
それは通名、「反射式覗き眼鏡」というものですが、
ヨーロッパで流行っていた絵を立体視覚で楽しめる玩具です。
この元になる絵が、完全なる透視図法で描かれた風景で、
その日本の風景を当時、京都の玩具屋でアルバイトをしていた応挙が、
何枚も完璧な透視図法を理解して、京都の風景を描いていたようなのです。
「反射式覗き眼鏡」
「三十三間堂通し屋図」
応挙が描いたとされる、三十三間堂です。
この絵だけでも、当時の人はビックリしでしょうね。
写生の帳面が残されています。
丹念に昆虫がスケッチされていますが、
その身体の部位を知る楽しみがこのスケッチから伝わってきます。
鯉、滝登り
「鯉魚図」
このような鯉の絵は、何処かでみたような、
オーソドックスな表現と言えるでしょうが、
応挙が始めだったのでしょう。
それにしても真ん中の滝を登る鯉の表現は
限りなく抽象に近いものになっているところが凄いです。
写実に元ずくも、こうした抽象性にまで至る絵への取り組みは
近代の通じるものです。
その写実の目と絵師としてのセンスの研ぎすまされたキレキレの作品がこれ。
「青楓瀑布図」
淡白な色彩の中にも黒い岩がコアで強いものを感じます。
私がその抽象性に最も驚いたのが
「氷図屏風」というものです。
これはもう抽象画ですよ。
素晴らしく、「知的」という言葉が浮かびます。
それでは応挙の「雲龍図」見てみましょう。
「雲龍図」1773
優しい色彩で、猛々しいなかにも
やはり上品さを感じさせ穏やかなトーンの色彩で描かれています。
紫がかった墨色、そして渋めのゴールド色。
ほとんど紫と黄色の補色の色使いのみです。
さて、応挙が没する年に描かれた作品。
つまり最晩年の作品に大阪〜京都間の渓谷、
保津川を描いた傑作があります。
瀑布の絵の水の表現よりもっと見事に描かれたのがこちらで、
写実性を超えた日本の渓流のイメージがとっても美しいです。
応挙の澄んだこころの内を感じます。
「保津川図屏風」右隻
最後は、さらに穏やかな作品で締めくくりましょう〜。
「郭子儀図襖絵」
子供達の無邪気な表情と遊ぶ姿が、、
とってもいいです。
工夫をする様子が見える