酒井抱一
そんな人がいるのか〜?いたんです。
それは江戸淋派の創始者と言われる酒井抱一です。
酒井抱一は姫路藩主酒井家の次男として江戸で生まれました。
江戸で生まれてはいるものの、実家は姫路城なのです。
実家が姫路城!なんて、すごいですね〜。笑
そんな経歴の画家がいたものです。。
日本絵画の星 17 酒井抱一(1761-1828/江戸中・後期)
多趣味であった大名茶人の兄・酒井忠以の影響で俳諧や能楽、書画、茶、狂歌、浮世絵など
様々な文化に親しみながら(兄の庇護もあり)20代まで奔放な生活を送り文化人としての素
養を身に着け、吉原通いでの遊びも存分にしたようです。
遊びつくしたということでは尾形光琳に負けていないようです。
若い頃は美人画を得意としていましたが、尾形光琳の作品と出会うことによって、
光琳に憧れ、その芸術に近づこうとしたようです。
光琳の影響からこんな燕子花を描いています。
「燕子花図屏風」
これをパクリと言ってはいけません。
芸術は偉大な先輩の影響をもろに受けることから始まるのです。
先輩(光琳)の絵のこころを体感するために、模写も欠かせません。
「八橋図屏風/右隻」
そして光琳に倣って、宗達の「風神雷神」も模写したのは有名は話です。
その頃の、言わば淋派風の初期作品で有名なのがこれ。
「月に秋草図屏風」重文
光琳とは違う独特の浮遊間がこの絵にはありますねぇ。
月と秋草との不明瞭な位置関係がデザイン性意識した結果だと思われます。
「桐と菊」
これは上品な絵ですねぇ〜。
ザ「日本画」というものの典型のようなもの。
川の流れの表現に光琳の「紅白梅図」に対抗しようという意志が感じられます。
そして遠近法と平面性のせめぎ合いも、、
酒井抱一は尾形光琳の百回忌を江戸で営なんだ程の
入れ込みようで、
その時に「光琳百図」と題した、光琳の作品を白黒の線描で描く写した、
光琳の題材本まで出版しているのです。
最高のオマージュですね。
その「光琳百図」から「紅白梅図屏風」の図柄を元に
これを描きあげています。
「紅白梅図屏風」
そうした光琳を通過した後に名作たちが生まれていきます。
そして最高傑作がこれ。
「夏秋草図屏風」重文
私はこの作品を、つい数年まで知りませんでした。
酒井抱一展のパンフレットでこの絵を初めて見たのですが、
魅了されましたね、やはり。
銀箔の冷たい感覚。まさにクール。
今までに見たことの無いシャープな感覚に吃驚しました。
中心の大きな空白(間)は宗達の「風神雷神」を意識したもののようです。
で、そこに張られた銀箔はやはり月の光の見立てなのでしょう。
現代にも通ずるというか、現代作品として見ても、全く
違和感はないでしょうね〜。
この作品に至って、酒井抱一の
絵画の世界感と個性が際立ってきたようです。
そして円熟期に入りの江戸淋派を確立していきます。
「秋草鶉図屏風」
とっても繊細な表現で成り立っています。
秋の草、その一葉一葉が細く、綺麗な流線型で描かれていて、
都会的といっていい、ハイセンスな感覚を感じる域に達していますね。
さらにハイセンスなのがこれ。
「四季花鳥図巻」
美しいです。
色彩の発色も凄いのが印刷の図版でさえわかります。
当時
「抱一なら高い顔料も苦にならないだろう」と
資金面で豊だったことが知れれていました。
まぁ、藩主の息子ですからねぇ〜。
同じく「四季花鳥図」です。
「四季花鳥図巻/下巻」
こちらは「四季花鳥図」の屏風です。
「十二ケ月花鳥図貼付屏風右隻」
「十二ケ月花鳥図貼付屏風左隻」
酒井抱一の芸術とは
「淋派芸術を貫く装飾性と叙情性、古典的な文学趣味に『粋』と『通』
を重んじる繊細さ」
と言うことになるようです。