岩佐又兵衛
桃山時代このあたり(北摂)を信長にもらい
北摂一国の城主だった荒木村重。
しかし彼は何故か(理由は諸説あるもののはっきりしていない)信長に謀反し、
信長の逆鱗にふれ、
その一族の女こども122人が伊丹に有岡城で信長に惨殺、
家来も京都で市中引き回しの上、斬首された。
が、自身は尼崎城から金剛山に逃れ、
信長の追っ手からのがれた。
その後、信長死後、茶人となった。
彼の家族は妻子供もほぼ殺されてしまったが、
1才だった又兵衛は乳母の機転で京都に逃れ生き延びた。
岩佐母方の性です。
それが絵師:岩佐又兵衛である。
日本絵画の星 14 岩佐又兵衛(1578-1650/桃山~江戸初期時代)
岩佐又兵衛はその生い立ちの不幸から語られることが多い絵師ですが、
村重の子というのを差し引いても、
全くもって日本の絵画史に刻まれるべき絵を沢山のこしています。
江戸〜明治時代までの彼の評価は「浮世絵の祖」と認められていたからです。
現在では菱川師宣が「浮世絵の祖」と言われてそれが広まっていますが、
実際には岩佐又兵衛をそう見るのが、私には自然に思えます。
というのも、岩佐又兵衛の絵に近世の人物表現の始まりを感じるからです。
それは彼の人物の顔の表現の特徴である「豊頬長頤(ほうきょうちょうい)」と呼ばれる
ふっくらした頬に長い顎(あご)の顔に
それまでに描かれなかった、官能性(豊かな表情)が見られるからです。
たとえばこれ。
「浄瑠璃物語絵巻(部分)」
少し照れたような女性とえっちな心が顔にでてる男性。笑
牛若丸ですね。
この表情が?と思われる人は、たとえば「源氏物語絵巻」などのそれまでの大和絵の
人物表現を思い起こしてみて下さい。女性の顔などパターンで描かれています。
この
全体はこうなってます。
「浄瑠璃物語絵巻」
そしてこれ。
「山中常磐物語絵巻(部分)」
なんですか?これは、、笑
この左の女性、義経の母常磐御前です。
この絵巻は常磐御前が義経を探し回っていてその信州山中でのこと、
盗賊に教われ、身ぐるみ取られ、殺されてしまう物語の絵巻図です。
驚く常磐御前と侍女の表情にリアルなものがあります。
悲しみの常磐御前。
賊に殺されてしまった常磐御前。涙なみだ
この顔の表現の深さに多くの方が感銘を受けているようです。
この絵巻には残酷に、人を殺す場面が多くあり、血も大量に描写され、
又兵衛の穏やかな人物描写からは対極にあるようなものなので
長く又兵衛作とは認められなかったそうですが、
近年の絵巻研究により細部の筆使いなどから又兵衛作とされ、
それも定着したようです。
岩佐又兵衛は1才の頃に、母を殺されているだけに、
この常磐御前を描くにあたって、やはり記憶にはないであろう自身の母に
対する思慕の念が込められているに違いありません。
幼くして家族を全て失ったという経験は
人に対して求める愛はとっても深かったに違いありません。
そんな溢れる思いや気持ちが画面からにじみ出ていると感じます。
有名な伊勢物語のを絵にしたもの。
「伊勢物語・梓弓」
「伊勢物語・梓弓」
いいですね〜〜。
風流や粋といったものの始まりがここにあるような気がします。
忘れていました。
牛若丸(義経)が大暴れして立ち回ってるシーンです。(山中常磐物語絵巻)
アニメの1シーンを切り取ったように、動きが見事に切り取られています。
岩佐又兵衛は
繊細な感覚の持ち主だったに違いないですが、
とてつもないスケール感のある絵の名作も作っています。
「豊国祭礼図屏風」
「豊国祭礼」とは1604年豊臣秀吉の七回忌を記念して
京都の豊国神社で行われた祭礼の様子を描いたものです。
これはその左隻で方広寺の大仏殿前で風流踊りを舞う
京都町民を主題にしています。
この壮大な光景と細部は見るのにうっとうしいぐらいに細かく
町民ひとりひとりの姿が描き込まれています。
画像はないのですが、「洛中洛外図屏風」も
その大きさ、繊細さ、絵師としての力量、、
その構成力は圧倒的なものと言えます。
「源氏物語」を元にしてスケールの大きな絵も描いています。
「車争之図」
そして、蕭白ばりの迫力の画面を作った「小栗判官絵巻」。
「小栗判官絵巻第2巻龍王」
さて、彼が晩年に描いた自画像があります、それがこれ。
いいですね〜、柔らかいです。
又兵衛の活躍は京都〜福井〜江戸と移りますが、
最後は江戸でも名声を博して、1650年に亡くなります。
彼の死後、彼をモデルに近松門左衛門が浄瑠璃を書いています。
福井での又兵衛の奔放な生活を送っていて
「浮世又兵衛」と呼ばれていたらしく、
そのころの町絵師又兵衛がモデルで登場しているそうです。
それにしても岩佐又兵衛、凄いです。
巨匠だと思いました。が、今はあまり話題になることが少ないですが、、
その内もっと大きく再評価されるに違いないです。
さてさて、最後に歌川国芳による荒木村重像を貼っておきます。
北摂一国の城主だった荒木村重。
しかし彼は何故か(理由は諸説あるもののはっきりしていない)信長に謀反し、
信長の逆鱗にふれ、
その一族の女こども122人が伊丹に有岡城で信長に惨殺、
家来も京都で市中引き回しの上、斬首された。
が、自身は尼崎城から金剛山に逃れ、
信長の追っ手からのがれた。
その後、信長死後、茶人となった。
彼の家族は妻子供もほぼ殺されてしまったが、
1才だった又兵衛は乳母の機転で京都に逃れ生き延びた。
岩佐母方の性です。
それが絵師:岩佐又兵衛である。
日本絵画の星 14 岩佐又兵衛(1578-1650/桃山~江戸初期時代)
岩佐又兵衛はその生い立ちの不幸から語られることが多い絵師ですが、
村重の子というのを差し引いても、
全くもって日本の絵画史に刻まれるべき絵を沢山のこしています。
江戸〜明治時代までの彼の評価は「浮世絵の祖」と認められていたからです。
現在では菱川師宣が「浮世絵の祖」と言われてそれが広まっていますが、
実際には岩佐又兵衛をそう見るのが、私には自然に思えます。
というのも、岩佐又兵衛の絵に近世の人物表現の始まりを感じるからです。
それは彼の人物の顔の表現の特徴である「豊頬長頤(ほうきょうちょうい)」と呼ばれる
ふっくらした頬に長い顎(あご)の顔に
それまでに描かれなかった、官能性(豊かな表情)が見られるからです。
たとえばこれ。
「浄瑠璃物語絵巻(部分)」
少し照れたような女性とえっちな心が顔にでてる男性。笑
牛若丸ですね。
この表情が?と思われる人は、たとえば「源氏物語絵巻」などのそれまでの大和絵の
人物表現を思い起こしてみて下さい。女性の顔などパターンで描かれています。
この
全体はこうなってます。
「浄瑠璃物語絵巻」
そしてこれ。
「山中常磐物語絵巻(部分)」
なんですか?これは、、笑
この左の女性、義経の母常磐御前です。
この絵巻は常磐御前が義経を探し回っていてその信州山中でのこと、
盗賊に教われ、身ぐるみ取られ、殺されてしまう物語の絵巻図です。
驚く常磐御前と侍女の表情にリアルなものがあります。
悲しみの常磐御前。
賊に殺されてしまった常磐御前。涙なみだ
この顔の表現の深さに多くの方が感銘を受けているようです。
この絵巻には残酷に、人を殺す場面が多くあり、血も大量に描写され、
又兵衛の穏やかな人物描写からは対極にあるようなものなので
長く又兵衛作とは認められなかったそうですが、
近年の絵巻研究により細部の筆使いなどから又兵衛作とされ、
それも定着したようです。
岩佐又兵衛は1才の頃に、母を殺されているだけに、
この常磐御前を描くにあたって、やはり記憶にはないであろう自身の母に
対する思慕の念が込められているに違いありません。
幼くして家族を全て失ったという経験は
人に対して求める愛はとっても深かったに違いありません。
そんな溢れる思いや気持ちが画面からにじみ出ていると感じます。
有名な伊勢物語のを絵にしたもの。
「伊勢物語・梓弓」
「伊勢物語・梓弓」
いいですね〜〜。
風流や粋といったものの始まりがここにあるような気がします。
忘れていました。
牛若丸(義経)が大暴れして立ち回ってるシーンです。(山中常磐物語絵巻)
アニメの1シーンを切り取ったように、動きが見事に切り取られています。
岩佐又兵衛は
繊細な感覚の持ち主だったに違いないですが、
とてつもないスケール感のある絵の名作も作っています。
「豊国祭礼図屏風」
「豊国祭礼」とは1604年豊臣秀吉の七回忌を記念して
京都の豊国神社で行われた祭礼の様子を描いたものです。
これはその左隻で方広寺の大仏殿前で風流踊りを舞う
京都町民を主題にしています。
この壮大な光景と細部は見るのにうっとうしいぐらいに細かく
町民ひとりひとりの姿が描き込まれています。
画像はないのですが、「洛中洛外図屏風」も
その大きさ、繊細さ、絵師としての力量、、
その構成力は圧倒的なものと言えます。
「源氏物語」を元にしてスケールの大きな絵も描いています。
「車争之図」
そして、蕭白ばりの迫力の画面を作った「小栗判官絵巻」。
「小栗判官絵巻第2巻龍王」
さて、彼が晩年に描いた自画像があります、それがこれ。
いいですね〜、柔らかいです。
又兵衛の活躍は京都〜福井〜江戸と移りますが、
最後は江戸でも名声を博して、1650年に亡くなります。
彼の死後、彼をモデルに近松門左衛門が浄瑠璃を書いています。
福井での又兵衛の奔放な生活を送っていて
「浮世又兵衛」と呼ばれていたらしく、
そのころの町絵師又兵衛がモデルで登場しているそうです。
それにしても岩佐又兵衛、凄いです。
巨匠だと思いました。が、今はあまり話題になることが少ないですが、、
その内もっと大きく再評価されるに違いないです。
さてさて、最後に歌川国芳による荒木村重像を貼っておきます。
by hamaremix
| 2016-02-14 12:15
| 日本絵画の星
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