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浜本隆司ブログ オーロラ・ドライブ

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浜本隆司のブログ

雪村

雪舟を愛し、学び、超えようとした画家。

雪村「自画像」

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日本絵画の星 03 雪村(1504-没年不詳/室町時代)


雪村と言われて、その絵を浮かべれる人はかなりの
日本画/大和絵通といえるでしょう。
それは
幕府や宮廷といった最高権力者の側にいなかったため、
地味な存在であるのと、
絵が“渋い”(古い言葉で「玄人好み」)という
ふたつの理由からでしょう。

玄人好みというのは、
後年の尾形光琳が雪村の精密な模写を残し、
雪村の石印まで手に入れる程、
雪村を研究し、傾倒していたことからもうかがえます。


そんな渋い画家
雪村の代表作として一番有名なのは
「龍虎図屏風」でしょうか?

これです。
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虎図/龍虎図屏風


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龍図/龍虎図屏風


そして雪舟をとっても意識した雪村ですが、
雪舟に迫ろうとしたのではないかと思われるのが
「夏冬山水図」です。
雪舟の「秋冬山水図」のようにタイトルもテーマも似せ
同じように2対にもしています。
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「夏冬山水図」

とっても穏やかな、深い自然のまたその奥の世界ですね。
雪舟の山水図より落ち着いているように見えます。



これも有名な絵です。
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「風涛図」

これは絵の常識から言うとかなり違和感のある描き方をしています。
お気づきのように水面を傾けて描いていることです。

風が強く水平線が見えないほど
荒れた海の様子ですが、
陸にある樹々や民家は荒れた様相ですが、
海は割と穏やかに見えます。
しかし、この水面の傾きによって、
舟が陸に強く吹きおされていることが暗示されています。



これはどうですか?
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「布袋図」です。

布袋は七福神の一人だが、
この時代では中国に実在したとされる異形の僧で、
生臭いエピソードが多いというイメージだそうです。

この笑顔、、、

なかなか日本絵画のなかでは貴重なものではないでしょうかね?

とっても心に残るイメージです。




最後に「呂洞賓(りょどうひん)」
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これは空間がとっても奥深く
呂洞賓の服の筆さばきにとっても躍動感があります。
手前の龍、遠くの龍、龍に繋がる長いあご髭、

確かに空間作りにものすごく時代を飛び超えたものを感じました。




雪村の良さ、少しはわかってもらえましたでしょうか?



雪村(せっそん、永正元年(1504年)? - 天正17年(1589年)頃)
は、室町時代後期・戦国時代の水墨画家、僧侶。雪村周継とも称す。

常陸国部垂(茨城県常陸大宮市)に佐竹氏の一族の長男として生まれる。
本来なら長男として家を継ぐはずだが、雪村の父は他の妻の子を跡取り
としたため、幼くして夢窓疎石を開山とする正宗寺に入って修行する。
雪村周継の「周」の文字は夢窓派の通字で、雪村も同系統の僧の下で禅僧
の修行を積んだと考えられる。同寺は佐竹氏の菩提寺で絵画をはじめとし
た多くの寺宝を所蔵し、これらの作品は雪村の画風にも影響を与えたという。

50歳半ば頃、関東各地を放浪する。天文15年(1546年)会津で蘆名盛氏
に絵画の鑑賞法を授け(『丹青若木集』)、天文19年(1550年)には小
田原や鎌倉を訪れ、多くの名品に接し画僧達と交流したらしい。
60歳半ば以降は奥州を中心に活動、最晩年は田村氏の庇護のもと現在の福
島県の郡山にある庵に移り住み、そこで没したとされる。
その生涯には不明な点が多く、生没年もはっきりしないが、記録によれば
少なくとも82歳までは絵を描いていたことがわかっている。

名前から分かるように、雪村自身、雪舟を強く意識し尊敬していたようだが、
画風に影響を受けなかった。関東の水墨画のなかでも極めて独自性が高い画
風を確立した。光琳の代表作「紅白梅図屏風」に、雪村筆「あくび布袋・紅
梅・白梅」(三幅対、茨城県立歴史館蔵)の影響があるとする意見もある。

明治時代以降は評価が低い時期もあり、作品は海外へ流出したが、1974年
に東京国立博物館で展覧会が催されるなど近年は再評価の機運が高まり、様々
な画集で紹介され日本美術史上での価値が確立した。
その作品は150以上から200点近くが現存している。


by hamaremix | 2015-05-20 22:01 | 日本絵画の星 | Comments(0)