人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

浜本隆司ブログ オーロラ・ドライブ

hammererix.exblog.jp

浜本隆司のブログ

美術ノート vol.1

美術ノート vol.1_d0218056_20483835.jpg
みなさんこんばんは、北極カイトです。
覚えてもらってますかぁ?2度目の登場です。

今日はまた浜さんところにインタビューに来ました。

というのも美術界に衝撃を与えた大きなニュース、
美術出版社がつぶれた、(19億6000万円の負債をかかえ民事再生法適用を申請した)
ということがあって、美術関係者のなかで話題になっているからです。

浜さんにも
話を聞いてみたいと思ってやってきました。








北極カイト(以下K)「こんばんは浜さん、また来ました。」
浜本隆司(以下H)「やぁ」
K「日本酒持ってきました。これ飲みながら話をしましょう。」
H「やぁ、若いのに気がきくねぇ〜。最近日本酒、好きなんだよ。」
K「知ってます。ブログ見てますから、、」
H「あら、そうなの、そう言ってもらうととっても嬉しい。
明日も、頑張ろうって思えるのよ。」
K「頑張って下さい。いつも応援してます。」
H「ありがとう。で、今日はなに?」

K「あの、美術出版社が倒産したって聞いたので、
その話を聞きたくて来ました。」
H「あ〜、いち早く亜鶴くんから聞いた。」
K「そうですかぁ、僕もたまに『美術手帳』を立ち読みとかして
ちこっとアートの動向とか仕入れてましたから、残念です。」
H「『美術手帳』のただ読みが出来なくなった?から残念って、、」
K「はは、あれ高いんですもん。」
H「確かにね〜。僕らでも、買わないもん、もう。」
K「そうなんですか?」
H「うん、大体勤め先の学校で閲覧できるからね。」
K「それも立ち読みの一種じゃないんですかねぇ?」
H「まぁね、買ってないということではそうかな。」
K「そうですよ。僕ら本も漫画もCDも買いません。」
H「へ〜、そうなんだ、でもそれは自慢すべきことではないなぁ。」
K「はぁ、でも仕方ないです。大概はネットで確かめられてしまうので、、」
H「漫画も本もCDもカルチャーのメディアだから、
それを買うという行為で作家を育てる事になるし、
支援にもなるんだよ。」
K「分ってはいるんですけど、、、」
H「本当に好きなものは、ちゃんとお金出して買いましょう!」
K「は、はい。」
H「いきなり説教になっちゃいました。。笑」

美術ノート vol.1_d0218056_21323125.jpg

美術手帳1967年10月号

K「ところで、『美術手帳』との出会いってどんなモノでした?」
H「高校の美術室のバックナンバーがずらーっと並べられてあって、
何気なく見てみたら、なんか、大人達がわけの分らない行為をしている写真や
意味不明な作品が一杯掲載されていて、
いったいこれはなんなんや〜という、
美術のなかでも不可思議なものを載せてる雑誌なんや〜という感じをもって見た。」
K「いつ頃ですか?」
H「高校やから、1974年とか1975年だよ。」
K「全然生まれてません、影も形もない。笑」
H「それと、今と違って、やたら活字が多かったんよ〜。
それも難しい言葉が並べられてあった。」
K「へ〜、美術の本なのに、、」
H「うん、当時は美術の批評も紙面上でよくあったのよ。作家たちも勉強をして、人の作品を
批評するという事を紙面でもやってたんよ。ほとんど読んでないけど。」

K「批評って批評家がやるものではないんですか?」
H「そう、当時の批評家と言われた人達は明確な立ち位置から作品評を
書いていたので、その価値観に合わないものは、
厳しく批判したんよ。作家の方も批判されただけでは面白くないから、
自身の作品を作る姿勢をしっかり語り、批評家を批判するみたいなこともあって、
『美術手帳』は作品紹介とともに、そんな批評の場でもあったのよ。」
K「かなり、めんどくさい時代だったんですね〜。」
H「そうなんだよ〜。でも美術をやっていくにはこんなこともしないといけないのかぁ?
って思ったりした。」
K「多様な価値観というのは認められない時代だったってことですか?」
H「あ〜、それは言えてる。」
K「ある意味怖いっすね。」
H「う〜ん、とっても偏っていたと思う当時の『美術手帳』は。」

K「何でなんですか?」
H「『前衛』って言葉知ってる?」
K「聞いたことあります。アバンギャルドでしょう。」
H「そうそう、アバンギャルド。」
K「過激っていうイメージですけど。」
H「そう、『前衛芸術』は普通に対して過激でもあったし、
常識に対して挑発的でもあったと思う。
それと、科学の進歩に重ねて、美術も進化しなければいけないみたな
脅迫観念があったんだよ。それは作品は『新しい』という形容詞で
評価されるようなところがあったね。」
K「へ〜〜〜〜〜〜っ」

H「『前衛』というのは最先端だから、今までに無かったことをやって
『新しい』という評価を受けたんだよ。」
K「『前衛』というとよくわからないイメージが大きいです。」
H「いや、それはよくわかんないもんだよ。関西で起った『具体美術協会』
でも、『人のやらなかったことをやれ』ということが至上命令でしたから、、
人がやってないということで、足で絵を描いたり、絵の具をキャンバスに
叩き付けて描いたり、人がやらなかった方法が様々に試されたんだよ。
そんなものにまともに意味を求めても仕方ないんだよ。
そもそも、意味がなかったんだから。人がやってなかったことをやれば、
それが『新しい』って喜ばれたんだよ。」
K「それってオリジナリティーの追求ってことですか?」
H「その一面もあるよ。人がやってなくて自分がやってというところにオリジナリティがありますから」
K「ちょっと単純な思考とも思えるんですが、、」
H「当時は造形の時代でもあったから、メンタルなものより
視覚的な刺激を求めていたとも言えるかなぁ。」
美術ノート vol.1_d0218056_22264347.jpg

1976-2月号

H「でも、僕が大学に入った頃は、時代も変わって、
美術批評的なややこしいことは掲載誌面が少なくなってきてました。」
K「へぇ〜〜、どうしてなんでしょう?」
H「時代と言えば時代で、僕らの上の団塊の世代の人達って議論好き
だったからね。」
K「浜さんとかの時代は違うんですか?」
H「うん、違うね。僕らはオタク第一世代で、ヴィジュアルを重視。
『美術手帳』もカラー写真が増えたし、DMなんかでも前は
白黒オンリーだったんだよ。」
K「へぇ〜、白黒だけって信じられません。笑」

H「『美術手帳』が扱ってた分野が『現代美術』っていう分野で、
もう『前衛』とは言わなくなった分野の後の新しい美術のことをやってました。」
K「『現代美術』ですか? まだまだ硬いですね〜。笑」
H「で、その現代美術を扱う唯一の雑誌が『美術手帳』だったの。」

美術ノート vol.1_d0218056_230144.jpg

1980年ー2月号



続く。
by hamaremix | 2015-03-15 23:07 | アート | Comments(0)

by hamaremix